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-2017年シーズン振り返り- 京都サンガに何が起きたのか?【上編 弱体化した2011~2015年】

 

2016年のJ1昇格まであと少し…という所から、今期は一気に落下。

1億~1.5億円もの赤字をこさえるほどチームの強化にお金をかけながら、開幕から一度も一桁順位を記録しないという空前絶後の低迷。全42試合中40試合を終え、13勝15分け12敗の勝ち点54で11位。J1昇格は消滅済みです。

更に、ただ単に弱いだけならまだしも……

 

なぜこのようなクラブ史上最悪とも言える状態になったのか? 後世と世間に伝える為にも、2017年シーズンについて振り返っていきたいと思います。シーズン終わってないけど。

 

ただし、2017年を語るにはまず2011~15年の間の文脈と、2016年を振り返らなければなりません。(本当はもっと遡る必要があるけども)

そこで第一回となる今回は、より深堀りするためにも2011~2015シーズンを改めて振り返りたいと思います。

※3回にわたって整理する予定です

 

 

 

再建と崩壊の5年間

2011から2013年

2010年にまたしてもJ2降格となってしまった京都サンガF.C.は、リスタートにあたって南アW杯日本代表コーチの大木武氏を監督に、オシム監督招聘で知られる祖母井秀隆氏をGMを迎え、今井浩司社長との三頭体制で久々のJ2の舞台に挑むこととなりました。なお、大木監督の招聘経緯は稲盛会長が岡田武史氏へオファーを出したが断られ、代わりに紹介されたのが大木さんというものでした。

稲盛和夫名誉会長(78)と親交の深い、前日本代表監督の岡田氏が筆頭候補だったが、同氏は拒否。大木氏が最有力候補に浮上した。

日刊スポーツ 京都新監督にW杯16強コーチ大木氏が浮上

このチャレンジでは、2度の昇格PO敗退&天皇杯準優勝とターニングポイントでの勝負弱さが仇となってチャンスをつかみ損ね、一度目のPO敗退の時点で退任を心に決めていた指揮官は「新しい1ページを作ろうとしましたが、できませんでした。シーズンは終わりましたけど、サッカーは続くので、これをいい経験にして、また次のシーズン、がんばれるような京都サンガになってもらえればと思います」とコメントを残しクラブを去っていきました。もしここで昇格できていたら…

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ただ、決して順風満帆ではなかったけども、ボールに対して選手がガンガンと飛び込んでいく守備と攻撃でゲームを支配したサッカーは実に魅力的で、"京都らしいサッカー"だなんて形容されるまでに成長しました。一貫性のなさだけはJリーグ1の京都サンガの歴史上、本当に稀なことだったと思います。また、柱谷監督時代にスタートしたスカラーアスリートプロジェクトの恩恵を受けた育成組織出身選手がメキメキと頭角を現し、育成型クラブの実現に向けても大きな進歩が見られました。

契約を全うしてクラブを去った監督が17年ぶりという事実からも、指揮官(と指揮官へのサポート)が在任中に残したレガシーが大変貴重で有意義なものであったことは間違いないありません。

私も大木さんのおかげでサッカーにカテゴリーなんて関係ない事を学びました。

そして、エルゴラッソ2013年シーズンJ2総集編にライターの雨堤氏が寄稿したあの美しい文は、私をはじめとする京都サポの総意であると信じて止みません。あの2Pはサッカー関連の記事の中で世界一美しい記事だと胸を張って断言します。

 

さあここから足りないものを埋めにいこう―― 

その矢先でした。悲しいことに、右肩上がりだったはずのクラブは2013年オフから大きく狂いだします。

 

 

2014年

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まず、Jリーグの中で最も最後に行われる昇格PO決勝で敗戦し、指揮官である大木が退任したことから、13年オフのストーブリーグで大きく出遅れてしまいました。招聘した新監督のバドゥ氏も「勝ち点100、得点100を目指す」と意気込むも只の愉快なおじいちゃんでしかありませんでした…

もしここで、祖母井GM千葉時代に招聘したベルデニック氏を呼べていたら…

バドゥ監督はチームに規律を与えず、選手に混乱と嫁の手料理を*1、他サポへは笑いのネタを与えただけ。練習でやったことのない3バックを突然試合途中に導入させるなど、戦術0の狂った集団は全力少年がごとく大木体制の積み上げたものをぶっ壊しました。当然ながら一度崩壊してしまったチームは森下仁志監督代行と川勝良一監督の下でV字回復を遂げるまではいかず、クラブ史上最低のJ2 9位フィニッシュ。6位までが進出できる昇格PO出場すらも逃す結果となりました。

この結果を受け、バドゥ監督招聘など昇格失敗の責任を取る形で祖母井氏がGMを退任。バドゥがダメになった時点で氏は実権を失ってしまいましたね…(ただし、高間・細川と京都サンガの弱さを象徴するような古参の強化部スタッフもお祓い箱へ *2

また、現日本代表FW久保裕也らをスカウトしてきた高本詩史氏が残念ながら退任し岐阜へ移る形に。

 

シーズン最終戦の会見にて川勝監督が「ただ、残念なのは一枚岩になっていない様な気はしますね。本当にもう、サポーターも熱いし、一生懸命応援してくれるし、選手も本当に京都に馴染んで京都を好きでいてくれる。だからフロントの人ももっともっと入ってきて、一緒になって強くするということを考えないと。誰かのものでもないしねチームは。クラブは、全て京都の人の誇りみたいな、そういうチームであってほしい」と語ったように、フロント内部において祖母井氏や元からいた強化部スタッフや今井社長間で一種の派閥争いのような決裂が走り、「フロント内部の亀裂も決定的になった。複数の関係者は、クラブの意思決定方法に疑義を呈す。ある幹部は「本来、強化部がゼネラルマネジャー(GM)の了解を得て予算や選手編成を考え、GMが責任を取る。だが、それが全部会社が決定している」と明かし、メーンスポンサーの影響力に言及する。クラブの意思決定の遅れにもつながり、夏場に日本人中堅MFの獲得に乗り出したが、最終のゴーサインが出ず、他クラブに先を越されたという。ある幹部は「残念ながら一枚岩ではなかった」」との始末であった為、フロントが良くも悪くも一新となったのは必然ではありましたが……

本当の地獄はここからでした……

 

 

2015年

15年シーズンは2017年シーズンが始まるまでは過去最低だった年です。誰に聞いても最低と言うでしょう。

結論から申し上げますと、この年の京都サンガはプロサッカークラブとしての体を保っていませんでした。私はもう「死んだな、このクラブ。」と思いました。京都からサンガが無くなるなと覚悟しました。振り変えるだけでまあまあ辛い。

 

まず、2014年で一気に強化スタッフがいなくなったので新たな強化部長が就任しました。"ミスターサンガ"なんて言われたりもするクラブOBで強化部に元々いた野口裕司氏です。

今井社長は彼を強化部長に任命し、「強化を一新するのに監督だけを継続するのはおかしな話。これからのサンガを担う強化部が次の監督を、どうサンガのサッカーをつくるかを考えるべき」。Q.自身の責任は「もちろん一番重いと思っている。ただ、今すべてを変えるとおかしなことになるので、まずは強化、チーム編成をしっかりして自分のことを考えたい」」などと嘘ぶいていたが、 実際には監督招聘も補強もサッカー素人である今井社長が仲介人や代理事務所などの力を借りて行った *3

これだけでも重罪だが、まだある。自身の責任問題に発展することを恐れてか、4月に和田監督が辞任を申し出た時にそれを却下 *4。更に7月に試合後の記者会見で辞意を示した監督に対して2度目の却下 *5。最終的な判を押すことに関してはわかるが、なぜ強化部長ではなく経営責任者である社長に強化の人事権があるのか?

更に保身の為の人事権乱用だけではなく戦術面での口出しすら存在した。

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2017年は群馬方面で色々とありましたが、この今井氏の私物化も甚だしく危うくJ3に降格するところでしたから、当時のストレスたるや本当に凄かった。「(不振の原因は)サンガが弱くなったのではなく周りが強くなったから」とか、嘘ばっかりつく人間は要らんのです。

(なお2年後により強大なストレスに悩まされる模様)

(というかこんなヤバイ事が起きていたのに大してネタにされない京都サンガの影の薄さったら一体)

(あ、ちなみに和田監督についてですが、言ってることはまともな割に実現するための戦術と落とし込み能力に欠けていたので『バドゥよりマシ』程度の監督でしかなかったですね。成績はバドゥ以下でしたけど。なんであれでS級ライセンス取れるんだか…)

 

このような事態に稲盛名誉会長が激怒し、和田監督は途中解任。今井も異例のシーズン中での辞任という形でクラブを去りました。京セラフィロソフィーの反する人間は粛清されて当然。

シーズン後のサポーターカンファレンス議事録には報道が事実であったことを認める悲しいやり取りが残された。

(質問)先ほど強化部主体で取りたい選手が一人もいなかったとありました、選手を先に決めて後で監督を決めたと言っていたが、じゃあ誰が主導で今季は選手を取ってきたのか

(山中)本来主導するべきじゃない人間が主導した。

2015年にもなってこのような前時代的な崩壊の仕方をするなんて、一体どんなガバナンスなんだか。Jリーグクラブは社会の公器ですよまったく。

 

素人が作りあげ、保身の為に犠牲となったチームは、前年の9位から大きく順位を下げて17位フィニッシュ。「頼むからJ2にだけは残ってくれ *6」という切ない願いこそはなんとか叶いましたが、クラブ史上最低順位をまたもや更新。

J2 5年目も昇格に失敗したダメージは大きく、J2 1年目より主力として育った世代別代表級の育成組織出身選手がJ1有力クラブへ多数流出 *7。日本代表や海外移籍といった個人の夢を含め、限りあるプロサッカー人生の中で有望な選手が23歳を過ぎてなおJ2にいることはマイナスでしかないでしょう。現在日本代表に選ばれている選手の大半は23歳までにJ1クラブの主力ないし海外クラブにその価値を見出され旅立っていった選手ばかりです。「サンガがJ1にいれば間違いなく彼らはここにいた」と育成・強化に携わってきた本田将也 育成部長が語るように、サンガがJ1にいれば引き留められたでしょう。小学生からサンガで育った駒井善成が「日本代表になる目標があり、代表選手が多くいる中で自分をたたき上げたいと思った。京都でJ1を経験するのも魅力的だが、年齢も考えた」と吐露するまでに至ったことほど悲しいことはありません。

つまり、若手主力選手の流出がなくとも17位からの立て直しは急務かつ難題であり、育成型クラブの実現、そして16年シーズンへ向けて(良い意味での)ドラスティックな変化が求められることとなりました。

 

 

蓄積されたピッチ外のダメージ

また、若手の流出等チーム強化面でのダメージだけならまだしも、今井体制では予算面での見えないダメージも大きかったです。今井体制ではチーム人件費に代表される支出を抑えることで純利益を確保し、債務超過寸前であったクラブを数字上立て直すことはできました。

しかし、肝心の収入を増加させる点については全く手を打てておらず、更に15年は成績の低迷とタダ券バラマキに、ベテラン選手獲得や仲介人頼みの補強で人件費が膨らみ、更には人気の若手選手流出と単年そして今に至るまでの収入支出が狂いに狂わされました。幸いにも、15年度は奥川のオーストリア移籍に伴う約2億円もの移籍金で黒字キープ&増収(前期比)を果たしましたが、赤字を積み上げた2010年以前とはまた種類の異なる、されど大きい負の遺産が残されました。

結果、Jリーグ全体では基本的にどのクラブも経営規模が拡大しているにも関わらず、サンガは極少数の規模縮小組に。球団側が選手の保有権を持っていて移籍がしづらいプロ野球と異なり、サッカーは完全なマネーゲームである。金がなければ良い監督や良い選手をよそから引っ張ったりすることなどできません。

だからこそ育成に力をいれていたのに、主力に定着したところをJ1のお金持ちに買われていった――

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(赤字=営業収益が2015年度>2005年度 水色マス=J1所属)

 

 

このような今井氏のリアルサカつくのダメージで八方ふさがりの状態となった中、J1昇格とクラブ経営の改善の二兎を追うためにサンガが選んだ手段とは……?

それは「赤字を計上してでも補強」というチーム強化への先行投資で"勝ち組"へ転じようというものでした。

  

次回は15年オフの立て直し~躍進の2016年シーズンについて振り返る予定です。

 

 

 

 

 

 

*1:監督夫人がチーム始動時からメンタルトレーニングや食事指導に介入したことも、選手の不信感を増幅させた。クラブ側はやめるよう要請したが、監督は反発

*2:祖母井秀隆ゼネラルマネージャーが、今シーズン(2014)をもちまして、GM職を辞任することとなりましたのでお知らせいたします。なお、同氏は2015シーズンより新設される「育成部・普及部アドバイザー」に就任し、今後もクラブの業務には携わっていきます。また、細川浩三強化部統括、高間武強化部テクニカルディレクターも今シーズンをもちまして、退任することとなりましたのであわせてお知らせいたします。

*3:京都新聞2015年7月11日 昨季途中、今井社長はタイに赴き、和田氏に直接、監督就任を要請している。一体、現場の強化はだれが担い、責任を負うのか

*4:スポニチ2015年8月6日 監督人事権を持つ今井社長は和田前監督が4月に辞任の意向を提出した際も“却下”

*5:スポニチ2015年7月9日 指揮官は“辞任”の意向があるが、監督人事決定権を持つ今井社長が承諾しないという

*6:京都サポーター、異例のJ2残留を懇願

*7:ドメサカブログ 若手選手の移籍が続く京都サンガ、昨季後半戦ポスターのメンバーがついに…