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10046日。京都スタジアム竣工によせて

 

お待たせしました。

お待たせしすぎたかもしれません。 

10046日。27年と6か月。途方もない年月。

  

2020年1月11日、京都スタジアムはようやく竣工の日を迎える事ができました。

wikiが充実しているので振り返るまでもないのですが、この記念すべき日に改めてその軌跡を少しだけ振り返ってみたいと思います。

 

 

 

〇1992年~2002年 第1期京都スタジアム計画(城陽

1992年7月10日、荒巻京都府知事(当時)により2002年サッカーW杯開催地へ立候補することが宣言され、京都スタジアム計画が始動しました。

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2002年のサッカーワールドカップ"日本大会"招致に向け、既に17の自治体が準備を進めている中での立候補に。

この後、府内の候補地選定において、宇治を押しのけた城陽が京都会場に内定。第二名神高速道路開通が予定されている城陽の丘陵地に4万人のサッカースタジアムを含む木津川右岸運動公園を整備する計画が始動する事となります。

この計画こそが第1期京都スタジアム計画と言えるでしょう。

 

しかし、ご承知の通り、2002年大会は"日韓共催"大会。史上初の共催方式に伴い国内の会場数が予定より削られる事となり、関西の立候補都市では唯一京都が選に漏れる事に…

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幸いにも、2008年大阪五輪招致活動において京都スタジアム(と西京極も)がサッカー競技会場の1つとして計画されていた為、想定規模を3万人規模に縮小して再度プロジェクトは動き始めましたが…

こちらもご承知の通り、2008年夏季五輪は北京開催に決定。伴って、第1期京都スタジアム計画は頓挫となってしまいました。

 

なお、現在のスタジアム予定地付近には、京都初のアウトレットモール建設が予定されています。

新名神沿いアウトレット、24年春開業へ 150店舗、駐車場4000台 京都・城陽|社会|地域のニュース|京都新聞

 

 

〇2003年~2010年 第2期京都スタジアム計画(横大路)

第1期計画が完全に潰える少し前、2003年1月1日の京都新聞1面に歴史的ニュースが掲載されます。

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京都市の南のはずれは横大路に、官民連携でサッカースタジアムを整備するというもの。前年から始まった35万筆にも及ぶサッカースタジアム署名活動の流れから、大きく話が動いた瞬間でした。

しかしその後、「カテゴリーに関係なく整備へ費用を負担する」と、メインスポンサーでクラブ運営会社名誉会長である稲盛氏が京都経済界によるバックアップで100億円(当時)といわれるスタジアム整備費のうち65億円を負担することで基本合意に至るなど大きな期待を抱かせたものの、費用負担や軌道系アクセスの面などで議会との折衝が難航。2005年12月に一時頓挫。

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梅小路公園や植物園への建設、西京極の改修なども並行して検討されたものの、費用・土地・代替会場等の問題をクリアするには至らず、最終的には京都市が2010年9月に整備は難しいとの声明を発し、第二期計画も立ち消えとなってしまいました。

YAJINスタジアムパナソニックスタジアム吹田など、昨今の「寄付」を用いたスタジアム計画の先駆となる非常に先進的でチャレンジングな計画ではありましたが……

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〇2010年~2019年 第3期京都スタジアム計画(亀岡)

京都市によるギブアップ宣言と、48万筆に及んだ2度目のスタジアム建設要望署名を受け、府が動きます。

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府内各自治体に公募をかけ、選ばれた土地に府が上物を建てる形で再度スタジアム計画が再始動。かつて立ち消えた横大路(京都市)・長池(城陽)、そして亀岡の3か所が最終選定に残り、最後は山田府知事(当時)の決断もあり亀岡に決定。

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その後、希少生物の保護問題等もあり着工に至るまでなんやかんやあったのですが、予定地を変更し、土地の再買付や設計見直し、なにより保護対策へのお墨付きが得られ、ようやく夢の実現を迎えました。

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「京都スタジアム パース」の画像検索結果

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〇勝負の1年

竣工はゴールではありません。スタートです。

遂に手にした『マイホーム』を、如何様に活用するか。この1年は常に課題が付きまとう事でしょう。

 

当然、色んな不満が出てくることかと思います。阪急沿線からJR沿線への移転ということで、動員面で読めないところもあります。

以前に断念した横大路と長池との競争となれば、亀岡に落ち着くのは必然の流れでした。出てきた土地の中から選んだだけで、また京都におけるサンガのプレゼンスでは、サンフレッチェのように梅小路という最後の一等地をテーブルに上げる事すら不可能でした。

現実を見据えつつ理想を貫いたが故の「ベター」。それでも、ようやく手にした夢の劇場なのです。

 

かつて、西京極には「西京極球技場」という名の球技場が存在していました。(現在の補助競技場あたりに)

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この球技場が無くなった頃から、不遇の時代を過ごしてきたのかもしれません。

2015年には、U22サッカー日本代表が京都合宿を行うもグラウンドがなさすぎて私立東山高校の人工芝グラウンドで1日目のトレーニングを行うなんてこともありました。

 

でも、そんな事も過去の話です。2023年には30年の時を超えてワールドカップが京都にやってくるかもしれません。

待望の新スタジアムが、多くの人に利益をもたらし、そして多くの人に愛され続ける事を祈ります。

 

 

最後に、署名活動・寄付金募集においてご協力いただいた皆様、政財界やみやびの杜委員会等スタジアム整備に向け邁進してくださった皆様に心より感謝申し上げます。本当に本当にありがとう。

いま、京都に続けと、セレッソ広島相模原ではそれぞれスタジアム建設に関わる寄付・署名を受け付けています。京都も寄付受付期間を少しばかり延長しています。ゆくゆくは、長崎・今治・秋田・鹿児島あたりでも寄付がはじまるかと思います。ぜひ、我々に手を貸して下さったように、何卒ご協力いただきますようお願い致します。