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【幻のスタジアム①】岡山操車場跡地公園サッカースタジアム計画

ふっと湧き出てふっと消えていったスタジアム。計画途中で凍結されてしまったスタジアム。無事に竣工したスタジアム計画の中にあった別案。

そんな我々の目の前に姿を現すことなく消えていった"幻のスタジアム"について、時々触れてみよう…という気まぐれ企画。

 

第一弾は岡山市の『岡山操車場跡地公園球技場』です。

 

 

 

きっかけはチボリ公園計画

 遡ること31年。1986年に岡山市が市制100周年のビッグプロジェクトとして旧国鉄の岡山操車場にテーマパークを誘致する構想を打ち出します。その名も『チボリ公園』。

 

しかし、ご存知の方も多いと思いますが、チボリ公園があったのは同じ岡山でも倉敷市のこと。三セクであるチボリ・ジャパン社の怠慢に、地元からの反発。そして推進派の市長が民意を問うた出直し選挙で落選。こうして岡山操車場へのチボリ公園誘致は露と消え、県の働きもあってチボリ公園倉敷市に建設されることとなります。これがスタジアム計画のきっかけでした。

 

 

サッカースタジアムを核とした公園づくりへ

チボリ公園誘致はなくなったが、岡山操車場を買い取って公園とする都市計画そのものは残された岡山市。市長選で「チボリ公園計画凍結」を訴えて当選したのが安宅敬祐氏が推したのが、『スタジアムを核とした公園』整備でした。

 

Jリーグ開幕から1年後の1994年、3万人収容のサッカー専用スタジアム整備を前提とした岡山操車場跡地公園(仮称)公開設計コンペが行われ、182件もの案が集まりました。最優秀設計者はその後の計画や設計に加わる事となっていたようなので、整備を前提としていたビッグプロジェクト。

当時はまだJリーグクラブが"12"しか存在せず、岡山のような「Jリーグ空白県」が珍しくなかったとはいえ、新設のフットボールスタジアム(いわゆる陸上トラックのない専用スタジアム)計画はJ開幕に合わせたカシマスタジアムを含めごく僅か。それがふっと湧き出てきてくるんですから当時のJリーグブームと2002W杯効果の凄さがうかがい知れます。

 

 

幻のスタジアムたち

 コンペで最優秀案に選ばれたのは(株)松田平田の案。蓮をモチーフとした公園・スタジアムデザインとのことも、残念ながらネット上には画像が上がっておらず、後に幻と消えた為か(株)松田平田も自社のHPに受賞歴を載せているのみ。

なにせ1994年のコンペです。誰もが情報を発信できる現代とは異なります。

 

しかし、いくつかの案はネット上でも発見。

 

1.ネオタイド建築計画案

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2.熊本大学 両角・位寄研究室

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3.ASKA建築研究所(画像中)

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4.新居千秋都市建築設計

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5.南條設計室

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6.アウルデザインオフィス

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とまあこんな感じである。

またネット上では見つからなかった最優秀案だが、1996年発行の『日本のサッカースタジアム 今日そして明日』(2002年版記載なし・2010年版記載の可能性無)にパースが載っています。本当に屋根が蓮の葉のような形をしていて、非常に独創的な案。

そのほか『岡山操車場跡地公園仮称公開設計コンペ記録・応募作品集』には全提出案が記載されているとのこと。岡山県立図書館または岡山市立中央図書館の館内で閲覧可能のようなので、ファジアーノサポーターはもちろんサッカーファンならば岡山に訪れた際にの行って損はないと思います

 

 

 計画の終焉

コンペまで終えて、これから基本計画策定や基本設計へ移ろう…という段階でこのスタジアム計画は一時中断に。

130~140億円程度にのぼるとされた建設費とJリーグブームの冷え込みが主な原因のようですが、県が2005年の国体開催に向けて3万人規模の陸上競技場整備を検討した事(その後頓挫)や、コンペ当時は存在していた川崎製鉄水島サッカー部が神戸へ移転してしまったことも影響してしまったのかもしれません。 ※その後ヴィッセル神戸

 

更に、サッカースタジアム整備に非常に熱を持っていた安宅市長が2期目を終了後に落選。

土地自体は岡山ドームなど公園施設が2000年代前半に整備されるも塩漬け状態で、09年には安宅氏がサッカースタジアム整備案を公約に市長選に再出馬も落選。これで完全に計画は芽が費えてしまった形に。

2010年代にようやく公園の基本構想が固まるも、計画の中にスタジアムはありませんでした。


しかし、3つに区分けされたゾーンの内、総合公園区域自体は憩いの場として整備される為、現存する岡山ドーム以外の新規の施設建造はしない予定。裏を返せば将来的にスタジアムを含む公園に転用する事が比較的容易ではあるということ。ファジアーノ岡山の代表木村氏が専用スタジアム整備への含みをもたせているだけに、今後この場所にサッカースタジアム計画が再燃する可能性も無きにしも非ずです。

 

岡山駅から1駅で現本拠地とも離れていない為に、スタジアムを整備する又はスタジアムのような文化施設を整備する環境としては申し分のない土地。

ここなのかどうかはおいといて。いつの日か、岡山に夢の続きが訪れる事を祈っています。

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最後に、つい先日岡山サポさんの非常に的確で素晴らしいツイートをお見かけしたので紹介して締めと。

 

 

ではまた