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曺貴裁京都の歩みとは。正体不明の「成長」と見えた限界 〜2022年京都サンガレビューその②〜

 

 

 

 

はじめに

アクセス数稼ぎや炎上商法で付けたタイトルではない。

言いたい事がより伝わる様に、自分の中で今年1年間燻り続けた素直な感想を最初に述べた。ただそれだけである。

 

 

さて前回に引き続き、2022年の京都サンガについて振り返る。初回はこちらから。まず目を通してほしい。


ちなみに前回の補足をしておくと、私自身は、親会社である京セラの社風とサッカースタイルに近似性が見られる事は好ましいことだと考えている。

例えば、エナジードリンクメーカー大手企業のレッドブルと、そのレッドブルが関与するサッカークラブ(レッドブルザルツブルク/RBライプツィヒら)は共通の世界観を有している。

資本投下を促す意味でも、親会社の経営方針の根底にある"ベース"とサッカースタイルの根底にある"ベース"が似ている事は有益だろう。ただ、ベースはベースであって、その土壌に根を張り、太く大きな幹や枝葉をこしらえなければ、立派な花を咲かせる事は難しい。

 

 

補足は以上である。

 

前段となる初回ではクラブの過去からの道程を振り返り、少し異なる視点から今季のチームについて考察を行った。

今回は今季の京都サンガと云うチームそのものについて触れて考えてみる。キーワードは「成長」だ。

 

 

 

「成長」と云う虚像

今季、曺貴裁監督が試合後コメント等で幾度となく繰り返したワードがある。

それが成長だ。

 

コロナ感染による隔離と、脱水症状により会見をキャンセルした計2試合を除くリーグ戦の試合後コメントにて、成長と云うワードは述べ17回も使用されている。

(「成長」の登場回数をまとめた謎の図…!)

11月16日付京都新聞朝刊での総括記事に於いても、"J1の舞台 若手に経験"とアカデミー育ちを筆頭に若手選手の成長について触れられている。

確かに、J1昇格の立役者であるアカデミー育ちの若原・福岡・川崎・麻田は、今季が初めてのJ1での戦い。武田や井上も初のJ1挑戦。その他の選手達も通年を通じてJ1で出場した経験の乏しい選手ばかりであり、経験が浅いと言える面々で挑んだ中で勝ち点10や20で終わらず、15.5枚だけ用意された来季への切符を掴み取った事は、一定程度「成長」を感じたと言っても良い。

 

しかしながら、経験の浅い選手がよりハイレベルな舞台で出場機会を与えられれば、元々あった伸び代の分だけ伸びていくのは当然の流れとも言える。

J1の強度や速度を前に圧倒される事なく、戦える様になった事は大きな成長と言えるが、初回で述べた様にハードワークや対人プレーの強度は土台であってサッカーの全てではない。

 

例えば麻田と井上。(後述するが)後半戦は数的不利な状況や被カウンターの局面が多く、いわゆる"晒される"事も多かった中で見事に耐え凌ぐ強さを発揮してくれた。麻田なんて、魅力的な左足は持っていたが、対人守備が強いとはユース時代から今年までお世辞にも思えなかった。

一方で、マイボール時の運ぶドリブルやビルドアップ、ゾーンディフェンスやセットプレー時の守備対応については、よりプレーが洗練されて市場価値が高まったなどとは思えない。

 

例えば白井。文字通り"ジェネレーター"としてチームに活力を与え続けたし、右の"リードアクセル"として彼のドリブルやアップダウンはシンプルにエンタメ性も高く、観る者の心を打つ物がある。2度目のコロナクラスター感染が発生した直後のG大阪戦以外は全試合に出場し、主力として活躍したのは間違いない。

一方で、そんな白井のプレーは得点を奪う事・勝利する事に対して、効果的に結びついていただろうか。

 

Jリーグの場合、ピッチの幅は縦方向に105mもある。動画の様に自陣ゴール近くからパワーを費やすと肉体的にも精神的にも負担は大きく、最もクオリティと繊細さを要する相手ゴール前に辿り着く頃には、心身ともにアブノーマルな状態でプレーせざるを得ない。

彼がより敵陣深くで持ち味であるスピードやアジリティを発揮できれば、シュートやパス、クロスボールの質は向上し、得点に結びつく可能性はもっと高まったのではないか?

 

シーズンを通じて獅子奮迅の活躍を見せていた白井だが、5月3日の名古屋戦を最後に彼のアシストが記録される事はなかった。

なんと2022シーズンの白井のアシスト数は、わずか『2』アシストのみである。

 

果たしてこれは成長したと言える状態なのだろうか。

 

 

J1参入プレーオフ後に「やはり選手が自分のプレー範囲を広げ、自分のプレーが伸びていることを自分自身が実感することが必要だと考えています。皆、成長したと思います。」と語られているが、できなかった事ができる様になる。できていた事の精度や確率が上がる。培った能力を試合の中で勝利により結びつく様にプレーできる様になる。今季の京都の選手達がこれを実現し、正しく成長できていたとは思えない。

 

また個人の成長についてフォーカスされる事が多かったが、サッカーはチームスポーツである。

チームとしての成長はどうだったか?これも大いに疑問符が付く事象が通年で見受けられた。

 

では、この違和感について考えてみよう。

 

 

 

命じられた役割

違和感を整理するには、監督の考え方を理解するのが近道だ。

冒頭からここまで、"ジェネレーター"や"リードアクセル"と、京都を日頃から追いかけていない人にとっては聞き慣れない固有名詞を使用した。京都サポーターにとっては周知の事実だが、曺貴裁監督の京都にはサイドバックボランチも存在しない。(と言いつつみんな普通に用語として使うけど)

 

京都の基本布陣は1-4-1-2-3(CBを増やして1-3-5-2にする時もありますが)。

11個あるポジションにはそれぞれ独自の名称と役割が振られており、選手の選定基準・評価基準は与えられてた役割を全うしているかどうかと言っても過言ではない。理解するには、"ガンバ番"の印象が強いスポーツ報知:金川記者の記事が最も有益だろう。

(下記記事より引用)

京都・チョウ貴裁監督の独特すぎるサッカー用語「リードアクセル」「ホールディング7」…命名の根底にある信念 : スポーツ報知

シャトルカバー:GK。最終ラインの裏をカバーする

コマンド:CB。最終ラインの高さを指令・コントロールする

リードアクセル:4バックのSB、3バックのWB。チームを車とするならば、上下動によりアクセルとブレーキを踏む

ホールディング7:中盤の底。いわゆる3センターのアンカー。前方に居る7人(リードアクセルを含む)をガッチリと操る

BB:いわゆるBOX to BOXの略語。BOX to BOX =豊富な運動量で自陣と敵陣のペナルティボックス間を行き来し、攻守に貢献する

スイッチ:いわゆるWG。攻撃の起点として、守備の起点として、スイッチとなる

リエーター:いわゆるCF。最前線で攻撃をクリエイトする

 

【番外編】

ジェネレーター:ピッチ内外でチームを盛り上げる発電機役

 

曺貴裁京都では、こうして個々に役割が振られ、役割を全うする事が強く求められる。

もちろんポジション毎に役割があるのはどのチームでも同じ事ではあるのだが、京都の場合は組織の中で役割を果たす事よりも、各々が役割を強く意識し、役割を果たす事で組織が形作られる思想が強くなっている。

秩序の中のカオス(混沌)」という考え方にも現れている様に、縛ってしまう事で起こる硬直性を恐れて、一定のルールを与えつつ、判断の裁量は選手に大きく委ねられているのだ。

 

 

 

アンビバレントの代償

もちろん、組織としてのルールも設けられてはいる。

 

例えばスローイン

試合中、スローインを投じるのは原則リードアクセルのみに限定されている。直ぐに投げてパスを交換して進めれば良いシーンでも、福岡や武田、豊川らがボールを白井・荻原へ渡す風景はもう見飽きるほど目にした。「ああ、確かにそう言われると」と膝を打つ読者も多いのではないだろうか。これは一つの規則性である。

しかし、スローワーの交代にかかる所要時間を除いても、スローインを投げ切る迄にものすごく時間を要する。挙句、相手にすぐボールが渡る。

これは何処に投げるべきか、どう繋ぐかまでは整理されておらず判断に迷う。また、整理されていないが故に繋ぐ事ができない。その結果、時間もかかる上に相手にボールをプレゼントしてしまう状態が散見されるものと思われる。

 

例えば、前にパスを付けるプレー。

基本的に、京都はパスミスを恐れずにシンプルに縦方向へ手数をかけない攻撃を志向している。その中で、「受け手の体勢に関係なく、ボールをより前方に位置する選手の足元へ付ける」と云う規則性・プレー原則が確認できる。

パスを受けた人間は、反転してドリブルまたはパスを選択するか、視野に捉えている味方へポストプレーやフリックをする。状況によって選択肢は異なるが、「ダイレクトプレー」が選択される事が多い(その分、ミスも多い)。結果として大きなワンツーやピンボールのようなパス交換が生まれる。この時、同時に「ボールホルダーを追い越す」と云う規則性・プレー原則も重なる事で、人数と走力により、物理的に迫力のあるカウンター攻撃を創造する。

この規則性が見られる得点シーン・好機を演出したシーンを紹介しておく。これもまた見慣れた景色だろう。

 

しかし、原則はあるものの、先に述べた様にカオス(混沌)を受け入れ、選手にかなり裁量が与えられている為、発動条件はかなり属人的である。

一定のプレー原則により再現性が0ではないけども、いつでも自由に繰り出せる手札ではないのだ。

 

その最たる例が、話題にもなった柏レイソル戦での得点である。

 

視野に入った味方へパスを付ける。ウタカによるダイレクトプレーでの落とし。ボールホルダーを追い越す動き(更には荻原のバイタルエリアへの突撃)。

決して偶然のゴールではないが、必然のゴールでもない。それは今季の京都の得点がリーグワースト2位の30点に留まっている事が物語っている。

 

秩序はコピーしやすい。しかし、カオスはコピーが難しい。

整っていないからこそ「相手に読まれづらい」「陳腐化しない」メリットもあるが、故に味方同士でも共通の絵を描けない。再現性に乏しい。

カオスを受け入れ、ミス上等で正確性よりも速さを重視し両ゴール前を行ったり来たりする、いわゆるオープンで忙しない展開を志向している為、ダイレクトプレーの信奉も相まって数十cmやコンマ何秒のズレが生じ、パスやプレーの意図が合わない事も今季はより目立った。(対戦相手のレベルが上がった事でより難易度が高まったのだろう)

 

今季、12人の新加入選手を迎えた京都だったが、終わってみれば基本メンバーは昨年とそう変わり映えはなく、FPについてはバイス放出の穴に井上が入り、前線では終盤戦にコンディションが整わなかったウタカと宮吉の代わりに山﨑と豊川が並んだ程度。

特に三沢がアキレス腱断裂で長期離脱を余儀なくされたBB+ホールディング7の中盤3枚は、福岡・武田・川﨑に掛かる負担が大きく、中でも武田はプレー精度の低下と運動量の低下で最も勤続疲労が目に見えて現れていた。

昨シーズンと変わらない面々が重宝されたのは、「戦術理解度が高い」と評するよりも、「慣れ親しんでノッキングが起こりづらい」「カオスに対する耐性がより強い」からと評する方が適切だろう。

 

結果的に、再現性が単に乏しいだけではなく、選手個々の裁量が大きい→属人性が高い→再現性が低くなると云う悪循環が問題点として挙げられる。

荻原がコンディション不良で離脱して、荒木に変わるだけでそのポジションは大きくクオリティが変わってしまう。荻原にできない事ができる代わりに、荒木にできない事はできない。

人が変われば何かが変わるのは当然。とはいえ、誰が出ても問題のないチームこそ理想だ。しかし、このチームは配置や戦術で弱みを隠したり、強みを大きくするチームではない。戦術が個を守るのではなく、個々が機能して組織になる。

 

これではチームとして「成長」したとは言えないのでないかと云う疑問と、そんなチームで果たして個人が正しく「成長」できるのだろうかと云う疑問は強まる。

 

 

致命的な欠陥

「成長」と連動して、曺貴裁監督は勝負を読む力や大人になる事が大切だと説くことがある。

奪ったボールをプレゼントするプレーがまだ見られるので、そのあたりの精度を上げていくことがまず大事です。ちょっとしたボールロストが相手のエネルギーとなることがありますから

選手たちが日々大人になってきていると感じました

特に試合の最後の方の場面では、まだまだ我慢が足りないと思ったところもありますので、子どもから大人になるよう、これからも選手と向き合って改善したいと思います

我々の最初のコーナーキックや、その後に続いたコーナーキックで点が入っていればまた違った展開になったかもしれません。試合経験の少なさを言い訳にしてはいけませんが、そこで決められないのは、まだ勝負のツボを読む力が足りないと言うことだと思います

最悪でも失点を1に抑えて、後半に川崎さんの脚が止まってきた時に我々が1点返す場面が訪れれば、充分相手にもプレッシャーをかけることができたと思います。そういったゲームの綾や経験を、まだ選手たちに伝えきれていないという自責の念もあります

「ただ、ビルドアップどうこうよりも、2点目をイージーに決められてしまうチーム力が私は気になっていて、我慢するべきところはしっかり我慢して自分たちのペースに持っていく部分が、まだできていないと感じました」

「やることはやったつもりですが、試合に勝ったり、勝点を獲るためにはもう少し大人のプレーをしていかなければならないと感じました

 

直近で最も印象的なのは参入PO前のこのコメントだ。

「でもな、ガンバは地力あるしな」

「サンガにはJ1で厳しい戦いを経験している選手が少ない。あわてたり、パニックになったりする傾向がある。地力というのはJ1で長くプレーしないと身につかないと思う」

 

言いたいことは、わからなくはない。

しかし、選手に与えられた裁量が大きい中で、ボールの落ち着かないオープンな展開を志向し、個人個人の物理的な切り替えの速さと運動量で相手を幾度となく押し寄せる荒波の様に飲み込もうとするサッカーが曺貴裁京都のスタイルだ。

その様な肉体的なハードワークが求められるサッカーで、組織としてどう動くかが整理されていないのにも関わらず、「大人になれ」と要求するのは無茶振りに近く、精神論の範疇を過ぎないとも言える。

 

途中出場で投入した選手を途中交代させる"インアウト"の多さも目立ち、今季公式戦では負傷による交代を除いて4回も行われた。(山田・宮吉・木村・植田)

 

そもそも、『ボールを失っても素早くボールを奪うこと』『より高い位置でボールを奪うこと』を植え付けたチームでありながら、選手の裁量が大きく、ボール保持とボール保持時の攻撃が整備されていない事は大いなる矛盾を抱えている

例えば浦和戦(A)の得点シーンなど、相手GKへのプレッシングを契機にペナルティエリア内もしくは付近でボールを奪えれば大きなチャンスを得る。

 

しかし、この様なボール奪取は試合中にあっても1〜2回程度であり、そう繰り返し訪れるものではない。

なぜなら自分達のプレッシング・高い位置からの守備が上手い下手以前に、相手のポジショニングやビルドアップの手法に依存してしまうからだ。そもそも自陣から繋がずにロングキックですっ飛ばされれば、必然的に陣地は押し下げられる。

 

ボールを失ったと同時に猛烈なプレッシングにより奪い返しに行く。ボールを奪えなくとも、クリアに逃げる相手選手のプレー精度を奪い、ボールを拾って再度ゴールを目指す。この"ボールを持っていない時の攻撃"によって試合を優位に運ぼうとする思想自体は間違っていない。

しかしサッカーではボールをゴールマウスの中へ押し込めなければ得点とはならない。その為、全てのプレーはゴールを奪う事とゴールを守る事に結びついたプレーでなければ有効的とは言えない。即時奪回により攻撃のターンを幾度となく迎えても、奪ったボールをゴールマウス内に押し込む術が組織として整備されていなければ、得点は生まれない。

 

曺貴裁京都では裁量は大きく選手に委ねられており、標榜するサッカースタイルが手段ではなく目的化してしまい、自然とゴールから逆算したプレーが少なくなってしまう致命的欠陥を抱えている。

 

唯一、最前線で守備のタスクが軽減されている、攻撃の「クリエーター」ことウタカは、その類まれなる能力によって京都の致命的欠陥をカバーし続けてくれていた。

チームがリーグ8位タイの59得点(42試合)に終わった昨年は21得点10アシストと52%超に関与。リーグワースト2位タイの30得点(34試合)に終わった今季は9得点2アシストだが、その内訳を見てみると開幕14試合で8得点1アシストと驚異的な数字を叩き出していた。フェノメーノと云うほかない。

 

しかし、2度目のコロナクラスター発生以降ベンチメンバーからも漏れ、明らかなコンディション不良でクリエイトできなくなると、京都の攻撃はより単調かつ得点力不足に悩まされる。再現性の乏しさと属人性の高さが結果にも表れてしまった形か。

 

 

 

サッカーの魅力とは

これは私見になるが、サッカーというスポーツの魅力とは、11人が協力してゴールを奪う事そしてゴールを守る事であると思う。

みんなで助け合って、誰かのミスもお互いにカバーして、勝利を目指す。その為に、ゴールに対して、どうボールを運ぶのか。どうボールを奪うのか。味方との関わり、スペースや時間の使い方、相手の意図を読んで阻害する。もちろんボールテクニックや身体能力も必須だ。

 

曺貴裁京都は、とても精神的な連帯感は強く、残留争いの沼に足を突っ込みながらも誰一人下を向く事なかった。これまでの京都サンガの歴史を考えれば、シュンとして階段を転落していきそうな場面で反骨心を見せ続けてくれた。それはとても驚異的な事であり、11年ぶりの昇格を手繰り寄せた事も含めて、確かに先人達との対比で「成長」を感じる場面もあった。

 

一方で、偏見かもしれないが、互いのミスをカバーするというプレーが結果ベースで見ても少ない様に思う。

21年の大宮戦(A)でウタカが荻原を救ったくらいで、"誰かがPKを外した試合で誰かがカバーして勝利してチャラにする"というのがあまり無い。

個人名の言及は避けるが、決定的な場面でシュート外した選手らはその後も外しっぱなしでシーズンを終えてしまった。そして、誰かが代わりに得点を決めて、「結果的に勝てたから良いか」という試合も無かった。強いて言えば、守りの方でGKの若原や上福元が1vs1やPKを再三止めたり、DFがゴール寸前でクリアする様なプレーくらい。

 

 

中でも最も印象的だったのは、リーグ磐田戦(A)のラスト1分間とJ1参入プレーオフでの前半37分の被カウンターだ。

白井のスーパークリアは本当に素晴らしいが、そこに至るまでの過程は恐ろしい惨状である。もちろん、残留の為に博打的なアタックを仕掛ける中での後半ATの振る舞いであることは考慮されるべきであるが…リーグ最多失点で最下位の磐田相手に博打は一切実ることなく、逆に刺し違えられる所であった。この様なイレギュラーな状態を切り取ってはいけないとは言え、カオスそのものでありチームとしての体を成していない。

 

熊本戦では、相手選手やスペースの状況を鑑みずに「受け手の体勢に関係なく、ボールをより前方に位置する選手の足元へ付ける」「ボールホルダーを追い越す」プレー原則が優先されて、とんでもない戦術的エラーにより被決定機を迎えた

DFにとって背中を向いた相手ほどアタックしやすい相手は居ない。日頃のトレーニングから速いパスを蹴る・止める事を意識する一方で、ボールを受ける姿勢やコントロールオリエンタードについては軽視している様に見える事も一連の流れに滲み出ている。

 

しかし熊本はこの好機を逸し、逆に京都がこのプレーからそのままの流れでひっくり返して、強引な決め打ちのロングパスが豊川へと奇跡的に繋がり、貴重な先制点をもぎ取る。結果だけを見ればカオスの中で京都がモノにした形だが、熊本の選手ではなくJ1のFW・MFの技術を持ってすれば先に決め切っていた可能性は高い。

 

私の中では……もうこれはサッカーではない。あまりにも相手の事を軽視し、自分達の行動にしか焦点の合っていないプレーであって、サッカーというスポーツのルールや原理原則や特性に反している。アンチ・フットボールと言わざるを得ないのが正直な気持ちである。

 

この様なサッカーを選択してしまうチームで、本当に選手個人は「成長」するのだろうか?

 

仮に個人が大人の振る舞いを身につけて、「成長」したとして、その選手個人が海外クラブなどステップアップの道を選ぶとどうなるだろう?

必然的にその穴はまた誰か個人の「成長」で埋めようとする事になる。つまりまた1からやり直しになる。

 

初回で述べた様に、クラブは曺貴裁監督に依存傾向にある。

監督は選手個人の「成長」に依存傾向にある。

 

このままではチームとしての「成長」は望めず、誰かが居なくなる度に屋根や柱や壁が消えて、土台だけになる。

京都サンガという家が完成される日が来ることは無いのかもしれない。これは正常ではない。

 

 

 

不運か必然か。希望はあるのか

エクスキューズがない訳ではない。

京都は、今季のJ1ではおそらく人件費が最下位からワースト3位以内程度。他クラブと比べて非力なのは否めない。終始、交代カードの差を感じた。

かつ今季は現在行われているW杯の影響で超過密日程であり、選手の摩耗が想定以上だったことも考えられる。後半戦はトラッキングデータの数値もみるみる低下していることがわかる。2度のクラスター発生も、ウタカの無効化然り逆風であった。

(チーム走行距離とスプリント回数の集計)

 

それでもやはり、チームとしての「成長」の無さは気掛かりでしかない。

 

今季京都がリーグ戦で挙げた勝利は計8つ。

内訳は札幌×1。柏×1。浦和×1。川崎F×1。神戸×2。鳥栖×2。で8勝。

 

いずれもボールポゼッションを大事にしたチームであり、自分達の理想を大事にするチーム。さらに誤解を恐れずに言えば、完成度が低く、相手を圧倒するほどのレベルに無かったチームだ。

札幌は前半早々にGK菅野が退場し、真夏の京都で数的不利の戦いを強いられた。

柏はネルシーニョ監督が京都同様に事細かくチーム内の秩序を整備してはおらず、8月6日の京都戦以降10戦未勝利でシーズンを終えた不安定なチーム。

浦和はコロナクラスター直後の開幕戦。岩尾らを欠き、京都のプレッシングに屈した。

川崎Fは過密日程で疲労困憊の中、気温35度の京都で明らかな不調状態。走行距離は京都の110.701kmに対して101.962kmと即時奪回と自慢の攻撃力は鳴りを潜めた。

神戸は4人も指揮官が変わったシーズン。アウェイではリュイス監督代行が指揮を取った初戦。ホームでは疑問視される声も大きい吉田監督が立ちはだかったが、早々の2失点と退場者でThe End。

鳥栖は川井監督の下で理知的なフットボールを繰り広げるが、そもそも財政悪化から大量に主力を放出しており、選手層と人件費は京都とどんぐりの背比べ状態。

 

逆に湘南や福岡、降格した清水・磐田、残留へ向けた6ポイントマッチではことごとく勝ち点をプレゼントした。

思えば、J1昇格を果たした昨年も、5敗の内4敗は京都より資金力のある磐田・長崎に喫したもの。自分達より上回る相手を攻略することはあまり無かった。

その点でもチームとしての成長は見られなかったとも言えるし、このやり方で勝つには選手が著しく成長するか、ものすごい選手を他所から連れてきて揃えるほかない。揃えるにはお金がかかるし、成長すれば海外含め引き抜きの恐れは高くなる。それで良いのだろうか。

 

このブログを書く前に、いつも参考にしている、とめさんのチーム分析を改めて読んでみた。少し引用させていただく。

>ゴール前を固める相手を動かしてチャンスを作るという作業を苦手としている。個人のひらめきに期待している節もあり、局面の打開をエースのウタカに頼っているのが現実だ。

>ここまでの京都の試合を見て、確固たる得点パターンが確立されただとか、プレッシングがより巧みになっているだとか、チーム戦術の向上があまり見られない、というのが素直な感想になる。スタメンの選び方も相手を見てのものでなく、その時点での最強と思われるメンバーを選択しているように思える。

>主導権を握り圧倒する試合を見せる一方で、一旦相手にリードを許してしまうと、お手上げとも言える展開にもなってしまう。チームスタイルが強力であるがゆえに、そういった戦術的な幅の狭さは今後の懸念事項といえる。極端な話をすると、自分たちよりも強い相手に対して勝ち筋はあるのか?という事だ。

 

懸念事項が当たってしまい、進歩が見られない。見る目が変っても同じ欠陥が気になってしまう。これは偶然か、必然か

 

 

最後に少しだけポジティブな事を言えば、リーグ戦での出場機会が乏しいメンバーで臨んだ天皇杯清水戦での試合内容はとても明るいものであった。ボール奪取とボール保持の循環が意識されており、チームとして工夫が見受けられた。

特に得点シーン前後(動画参照)はボール保持と素早い切替によって何度も何度もゴールへのアタックを繰り返し、最終的には相手を自陣に張り付けさせて、ゴールを奪った見事な攻撃だ。

また開幕戦の浦和戦(H)を見返すと、ビルドアップで配置の工夫が見られ、J1でもこれならば十分やれると云う手応えを得たあの日の事を思い出した。昨年そして今年と、いずれも序盤の数試合で諦めてしまった「ボール保持時の5トップ化」と「中央突破」を、浦和戦や天皇杯清水戦の様に実現できれば、矛盾は解消されて課題も幾ばくかは解決できる。

 

しかし、今年と同様の戦略と戦術で来シーズンに突入した際には、勝ち点は積めても20を越すか越さないか程度ではないだろうか。

繰り返しになるが「秩序の中のカオス」「秩序のあるカオス」という戦略・考え方自体は否定しないし、秩序とカオスが必ずしも矛盾するものではないとも思う。しかし、構造上の致命的欠陥と矛盾をクリアしなければ、来季の順位表の一番下に京都の名前が刻まれても何らおかしくはない。それもダントツで。

 

 

 

最後に

J1残留・ルヴァン杯GL突破・天皇杯ベスト4と一定の成果を残した京都。その働きぶりは評価に値する。若手選手の起用のタイミングなど、流石と唸る場面も多々見受けられる。

リーグ戦34試合全てをこの目で見届けたが、1試合たりともファイティングポーズを無様に下ろした試合は無かった。よく戦い抜いたと思う。しかしながら、中身を冷静に見てみると5月のGW明け頃から既に限界点に到達していると感じざるを得ない。

 

通常であれば、このままでは終焉の日は近い。

 

監督を変えないことが継続性?持続性?それは明らかな間違いである。

選手が変わっても、監督が変わっても、脈々と受け継がれるものこそがスタイルであり、継続性があると言える。私は特定の誰かに依存する姿を見たいのではない。

 

終焉を回避するには、今の考え方を改めなければならないだろう。それは決してこの2年間の歩みを否定する事にはならない。それこそが「大人」への「成長」であり、組織としての成長に繋がるはずだ。

そして、あの楽しかった日々は、やはり二度と戻ってくる事はないのであろうと改めて感情を噛み殺す。私もまた、大人へと成長しなければならないのかもしれない。

 

 

 

 

以上でチームの振り返りは一旦終了とし、京都新聞の総括記事同様に、最後は観客動員数等クラブの今年の歩みについて考えて、今季の振り返りを締めたいと思う。

なお、先日公開したクラブに直接送付した「サポーターズカンファレンス開催検討の要請」に対して、繁忙もあってか、この記事を編集している11月27日現在で特段の返答や声明等は未だ発せられていない。

 

 

 

See you soon…!

 

 

P.S.

文の締めに使用している「See you soon」は今話題の影山優佳さんのブログをリスペクトしています。良い子はInstagramもフォローしようね。

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