ちょっと軽めに。
クソデカ主語だが、応援論と集客論は本当に成長しない。そりゃあ30年経ってもこの程度の成長に留まるわなってくらいに、諸悪の根元が詰まっていると言いたくなってしまう。成長していない。
集客数は苦戦が続いています。
— 小島 耕/ 水戸ホーリーホック (@KojimaKoh) 2023年3月5日
どうしたら良いのか、本当に苦しいです。
今日も「一度大量の無料招待施策をやってみたら?」と場外で提案を受けました。そこは違うかなと思っているので、愚直なホームタウン活動で確実に積み上げていこうと思います。
是非皆さんにも御協力いただけると幸いです。… https://t.co/VKSrCLV1ia
Jリーグにサッカー観戦初心者を連れてくのはあり?なし?|tkq @tkq12 #note https://t.co/ihDocMhReb
— tkq (@tkq12) 2023年3月3日
もちろん各々の前提が異なっているので、目を揃えられていない時点で、頓珍漢な意見が引用RTやリプ欄に並ぶのは致し方ないだろう。
わかり易く言えば、まず「スタジアムに足を運んだ事の無い人をどうやって呼ぶか」と「スタジアムに来た人をどう満足させるか」とではやや話が変わってくる。
場内でわかりやすいルール解説があったとして、観戦後の『何が起きているかわかりづらくて』『不親切だった』という離脱要因のリスクヘッジなだけで、サッカーに興味の無い人の観戦動機そのものにはまずなり得ない。
基本140字以内でしか文字を綴れないツールで、ましてや本心と違わぬ内容しか書けない訳ではない便所の落書きに、有意義な意見交換を求める方が愚か……
「サッカーを見せる」のではなくて「サッカーを使う」へ
ところで私、野菜の中だとじゃがいもが一番好きなのです。今も朝マックのハッシュドポテトを食べながらこの記事を打ってます。
肉じゃが、カレー、フライドポテト、ポテトサラダ…いももちなんて方法もありますね。煮ても焼いても揚げても良し。嫌いな人なんているのかな…?
なんで突然にじゃがいもの話をしたかと言うと、サッカーも一緒だからです。
じゃがいもは「どう食べるか?」であり、サッカーは「どう使うか?」なのです。
サッカーというスポーツほど市民権を得たスポーツはそうありません。義務教育課程で学ぶ訳ですから。決められたフィールドの中で、ゴールにボールを蹴りあって、より多く得点を取れるかどうか競うスポーツである事は皆知っています。例えオフサイドはわからなくても。
一方で、サッカーを好きな人ましてやサッカーを観るのが好きな人なんてのは本当の一握り。
カタールW杯で盛り上がった層は、今まさにWBCで盛り上がっている。彼らはサッカーや野球が好きな訳ではありません。M-1決勝があるからテレビ朝日を選局するし、冬季五輪期間中だからカーリングを観ます。
フックに合わせて行動する。あるいは日韓戦を中心に「世界と戦うニッポン」を通じて自身のやっすい島国根性を満足させているか。
要は手段として消費されているだけで、そこに断固たる愛着がある人間(マニア)なんて0.01%くらい。ジャンルによってはもっと少ない事もあるでしょう。
話を戻します。
じゃがいもを薦める時に、じゃがいものスペックだけを語っても意味がありません。そのまんま食べさせても仕方がないです。だって肉じゃがもポテサラもフライドポテトも味付きです。じゃがバターもバターがあります。調理されて料理の一部として活かされている。使われている。
知られているし、どこにでも顔を出すけど、所詮は食材の一つであって純然たる主役ではないもの。(別にマツコの知らない世界に影響された訳ではないですよ…!)
サッカーも一緒で、考え方を変えなければなりません。
サッカーを観る事を目的に考えるのではなくて、手段として考える。手段としてマスに提供しなければ発展するはずがない。
それこそ、デートスポットとして使ってもらう。放課後や休日の交流の場に使ってもらう。同期や上司との親睦の場に使ってもらう。商談の場として使ってもらう……
相対的にはかなり市民権を得ているコンテンツであり、『サッカー観に行こうよ』でも、ある程度は通用するパワーはある。そして入り口はなんであれ、最終的にはサッカーおよびサッカークラブへの愛着へ繋げなければ意味は薄い(競合に負ける)。
しかし、観に行ってもオススメの選手が出場するとは限りません。ゴールが生まれるとも限りません。0-3で負けるかもしれない。不確実性が高すぎます。はずれくじだらけで景品表示法的にはアウトかもしれない。
最初から比較的サッカーに興味のある極少数の母数の中から、更にそいつがSSRのカードを引くかどうかを試していては、いつまで経ってもマニアのもの。
その街に、この国に、フットボールで熱狂は生まれない。価値が上がらない。
自分達のコンテンツを正しく理解すること
私が(戦術的に)招待事業を原則嫌う理由も、サッカーを手段として提供していない様に感じられるからです。
要は、「サッカーを1度観てもらいこそすれば、きっとその良さが通じる」というエゴを感じるのです。
例えば、子供の遊び場・家族の団らんの場としてスタジアムを活用してもらう。その為に子供を招待して、同伴の大人には優待価格を適用する。これは戦略的にも戦術的にも正しく、好感が持てます。
いつぞや吉野家が炎上していたが、無垢な子供の内に取り込んでしまえば良いし、大人の財布の紐をほどくには子供を使えば良い。どう考えてもここにリソースを投下すべきなのだから。
勿論、ある程度マスに周知させないと萎んでいくので、大規模な招待プロモーションも理解はできます。JリーグIDを取得して、CRMに活用できるからリピートへの導線があるのも理解しています。
ただ、それは物理的な導線を整備しただけで、やるべき事をやりきらぬ内に、安易にサッカーの力を過信しすぎている疑念は拭いきれない。本来、自分達の商品・コンテンツを正しく理解していれば、自ずと正しい伝え方・売り方ができているはず。
自分達の商品を理解していない。当然売り方など理解できるはずがない。故に不正解を選び続けてしまう。
屋根の無い陸上競技場では、サッカーそのものを売るしかない?
気持ちはわかる。でも、スマホやテレビで気軽にハイレベルなサッカーが見られるのにその武器オンリーで戦う…?
最新鋭のスタジアムを持てた人間に言われたらムカつくかもしれませんが(笑)
J2とJ1の違いこそあれど、昇格自体が新スタジアムの恩恵なのでね。
— n (@nks137) 2022年11月13日
今日みたいな雨天でも、ブーツ履いた女性やお洒落したカップル、小さな子供が普通に場内を歩けるんですよ。西京極ではあり得ない。
動員数を増やしたければ、駅近屋根付きサッカースタジアムです。間違いない。 https://t.co/JVgrFYNL0t
おわりに
最後にあえて、「サッカーおよびサッカークラブを見せる」という観点から述べておきます。
そもそもスタジアムに呼び込む事だけを0⇒1と考えるのがおかしい。スタジアムに招いて、そこからコア顧客に育成しようと考えるのがおかしい。手段はいくつでもある訳です。
例えば、街中の利便性の良い場所でアウェイ戦のパブリックビューイングをします。
単に試合が流れるだけでなくて、普段ホームゲームに出店しているビールや屋台グルメのフェスの中心で、映像コンテンツとしてサッカーを置く。子供向けにサッカー教室もやっていい。
既存の観戦目的のサポーターと、フェス目当ての人間とが入り交じり、擬似体験を積ませる。ビールの割引でJリーグIDを取得させてデータを集める。選手やチームを認知させ、最初から興味・愛着を持たせた状態で、次のホームゲームやパブリックビューイングに誘導する。それこそID取得者に優待券やビール一杯無料券でもプッシュしてやれば良い。
やらない理由・できない理由を挙げていても仕方ない。
自分達(サッカークラブ)のポテンシャルとその伝え方を正しく理解する。そして熱意があれば、必ず熱は伝播するはず。
自分達が何をやりたいのか、何をすべきか、何をしているのかを理解していないから、打ち手を間違い続ける。
だから屋根付き駅近サッカースタジアムも今まで増えてこなかった。理由は構造を理解していないから。
もしもサッカー観戦を多くの人に楽しんで貰いたいのならば、サッカーを目的にするのではなくて、サッカーを手段にする。サッカーを売るのではなくて、サッカーを含めたパッケージを売る。これだけでも大きく変わることでしょう。
あと、誘う貴方自身が魅力的な人になること。
See you soon…!