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京都サンガ新社長:飯野晃氏は一体どんな人物なのか? -株式会社京都パープルサンガ社長変遷-(上)

 

2024年4月1日に社長交代を実施した京都サンガF.C.(運営会社:株式会社京都パープルサンガ)。

役員人事に関するお知らせ | 京都サンガF.C.|オフィシャルサイト

 

 

日本のサッカークラブに於いて、社長の交代が意味するものは大きく、言わずもがな1つのターニングポイントでもある。

京都サンガの場合、運営会社の筆頭株主は設立以来ずっと京セラ(株)であり、京セラから代表取締役が派遣されている。なお亡き稲盛和夫名誉会長も、初代代表取締役会長として就任以降携わってきた。

 

そこで、新社長に就任する飯野晃氏は一体どんな人物なのか?そもそも過去にどんな社長が在籍していたのか?を改めて調べ直し、変遷を振り返ると共に、今後の京都サンガについて考えるきっかけとしたい。

 

なお、基本的には敬称略にて記載します。

 

 

 

 

後編もあります。

 

 

 

歴代社長変遷

初代社長:西村勝美(1994.1〜1997.3)

※写真:めざせJリーグ!京都パープルサンガ(紫翠会出版/大橋隆 著)より引用

◾️経歴

1956年 同志社大学法学部卒業

1956年 (株)京都銀行入行

1975年 京セラ(株)入社

1987年 同社専務取締役

1993年 京セラファイナンス(株)代表取締役

1994年 1月:(株)京セラパープルサンガ代表取締役社長

1997年 3月:退任 ※常任監査役

それまで長澤紙化工業および教育研究社(長澤浩三代表取締役)がバックアップしてきた京都紫光サッカークラブのプロ化・Jリーグ入りへ、1994年1月13日に運営会社:(株)京セラパープルサンガが設立された(1994年6月29日付で(株)京都パープルサンガへ改称)。設立に際しては、京セラが10億円、任天堂が3億円を出資。その他、ワコール・京都銀行村田機械ら『正和会』メンバーや長澤紙化工業ら18の賛同企業・団体より計5億2000万円を出資を受けて、資本金18億2000万円にてスタート。発足したばかりにも関わらず"既にJリーグでも屈指の資金力"とも評された。

以降、筆頭株主である京セラの人材が代表取締役に派遣され続けることとなる。初代代表取締役会長に稲盛和夫。そして、稲盛和夫の指名で、初代代表取締役社長に西村勝美が就任した。

京セラ生え抜きではなく、同志社大を卒業した後に入社したのは京都銀行。入行後、門真支店(当時)支店長などを歴任。その後、京セラへ中途入社。専務取締役、グループ会社である京セラファイナンス社長を歴任。1995年にJリーグ昇格を果たし、加盟承認の電話を取った張本人こそがこの西村社長である。在任期間は約3年だが、1996年途中でクラブ代表が交代(詳細後述)。よってどこまで社長としての執務を行えていたかは…不明。

 

推測だが、稲盛和夫会長は、採算の取れないサッカークラブ運営を早期に軌道に乗せる為に、元銀行マンでもある西村氏を初代社長に指名したのだろう。しかし、他所のクラブ同様に早々に資本金を食い潰して債務超過状態へ転落。チームも最大のミッションであるJリーグ昇格を2年で達成できたものの、昇格後は悪夢の開幕17連敗。本人の責任ではないが、混沌の歴史がスタートしていったのである。

 

 

※参考 代表取締役専務:徳留正美(1996.9〜1999.7)

◾️経歴

1993年 京セラ 秘書室長等を歴任 ※サンガ支援決定時の稲盛会長秘書

1994年 1月:京セラパープルサンガ取締役を兼任

1996年 9月:京都パープルサンガ専務取締役に就任(※クラブ代表に)

1999年 7月:同社専務退任(京セラへ帰任し、広報宣伝部長へ)

2004年 公益財団法人 稲盛財団へ出向

稲盛氏と同郷で、元々はフランス語の技術系通訳だったそう。京セラへ加わり、秘書室長として稲盛会長の秘書役に。サンガへの出資・支援を決定した際の橋渡し役・キーパーソンでもある。96年7月に須永専務・藤田一郎常務が成績不振の責任を取るべく退任することとなり、出向。以降、クラブの代表として実務を担う。ラモス瑠偉獲得および流出や、サンガタウン城陽竣工、オフト監督辞任などの印象的なシーンでも氏がクラブ代表としてコメントを残している。

推測だが、稲盛会長は信頼のできる腹心であった徳留氏を代表に据える事で、未曾有の17連敗(のまだ途中にあった)を喫するサンガの立て直しを図りたかったのだろう。

「稲盛会長は、当初なんとかするといういつものスタンスでスタートさせ、資本金10億円、毎年の宣伝広告費(胸の京セラマーク)5億円の負担で推移を見ていましたが、このままでは、ご自身の経営哲学に汚点を残すとの思いで、会長の秘書役を「サンガの専務取締役(事実上の社長職)」に就任させ、管理職社員の中では、一番スポーツ界に精通しているということで、私が「取締役管理本部長」として、サンガの経営改善に送り込まれました」

「京セラ流の「入ずるを計り 出ずるを制す」という理念が成り立ちにくい状況でありました。そこで、止むを得ず一番経費が掛かっている選手の年俸の見直しをするよう、稲盛サンガ会長の指示により、全員カットを実行することになりました」

 

 

2代目社長:伊藤謙介(1997.3〜1999.7)

※写真:京セラ元社長・伊藤謙介氏が20代当時の稲盛和夫に感じた〝天賦の才〟|人間力・仕事力を高めるWEB chichi|致知出版社 より引用

◾️経歴

1956年 岡山・倉敷工業高校卒

1956年 松風工業(株)入社

1959年 稲盛和夫と共に独立・京都セラミック(株)を創業(後に京セラへ改称)

1981年 京セラ専務取締役

1985年 同社代表取締役副社長

1989年 同社代表取締役社長

1994年 1月:京セラパープルサンガ取締役(京セラ社長と兼務)

1997年 3月:京都パープルサンガ代表取締役社長(京セラ社長と兼務/クラブ代表は徳留氏)

1999年 6月:京セラ代表取締役会長

1999年 7月:京都パープルサンガ代表取締役会長(京セラ会長と兼務)

2005年 6月:京セラ取締役相談役

2009年 6月:京セラ相談役

2009年 12月:京都パープルサンガ代表取締役会長を辞任。取締役相談役へ

2011年 3月:同社取締役相談役を辞任

京セラおよび稲盛和夫について触れる上で避けては通れない。京都の碍子メーカー:松風工業で稲盛と出会い、共に京セラを創業。今日までの発展を支えてきたキーパーソンの一人。京セラフィロソフィーや経営者:稲盛和夫に対する書物などでも良く登場する。

京セラ本体とサンガの社長を兼務しており、クラブ経営については物理的に特段の関与はできなかっただろう。ではなぜ、親会社の社長を務めていた伊藤謙介氏を兼任させたのか?

1997年は、資本金を36億5000万円に増資した年。シーズン途中にラモス瑠偉がV川﨑へ0円で出戻りとなってしまいましたが、翌年にハンスオフト元日本代表監督を招聘し、10億円補強とも称された大型補強を敢行。森保一岩本輝雄大嶽直人黒崎比差支山田隆裕といった日本代表選出歴のあるビッグネームを次々獲得し、W杯1986年・90年大会でブラジル代表だったシーラスもサンパウロから獲得。

推測だが、増資による資金調達と戦力補強に差し当たり、京セラ社長を兼任させる事で全面的にバックアップする「本気の姿勢」を示そうとしたのではないだろうか。

 

 

3代目社長:石崎恒夫(1999.7〜2003.12)

※写真:日経ビジネス 2004年1月12日号より引用

◾️経歴

1961年 千葉県立市川工業高校卒

1976年 京セラ入社

1988年 同社商品事業本部機械工具部副事業部長

1995年 同社取締役(引き続き副事業部長)

1997年 同社取締役(商品第二事業本部機械工具事業部長)

1999年 7月:京都パープルサンガへ出向。同社代表取締役社長に就任

2003年 12月:同社代表取締役社長を辞任

京セラ本体およびサンガに於いて、稲盛会長が名誉会長へ、伊藤社長が会長へ就任することに。社長のポストに抜擢されたのが石崎氏。この石崎社長の在任期間中にクラブは2度のJ2降格と天皇杯優勝の初戴冠を経験することとなる。

当時の仕事ぶりについては、先進的なアクションが複数見られる。法人から個人へ重点を置き換えて、個人宅へのチケット訪問販売に着手。現場とフロントの一体感を目的に四条烏丸の本社から営業・企画の社員20名ほどを城陽のクラブハウスへ移転。立命館大学からのインターンシップ受入等大学コンソーシアムとの連携。フロントとサポーター間での意見交換会を初開催。選手によるビラ配り活動の初実施。ホームタウン推進部を設立し、小学校や地域のイベントに選手や普及部コーチなど派遣する「スポーツアカデミー」の強化…

一方で、キングカズこと三浦知良選手への戦力外通告および一連の対応が大きな問題となったのもこの時期である。

推測だが、97年に実施した18億円の増資も実らず、チーム成績の低迷と再び債務超過に陥ったクラブを立て直すべく、白羽の矢が立ったものと考えられる。

石崎氏は後のインタビューでこう語っている。

私が経営で重点を置いていたのが、当時サンガが抱えていた7億円を超える債務超過の解消でした」「ある会社の方に役員会ではっきりと言われましたよ。『もし京セラが親会社でなかったら、さっさと手を引きたいと、銀行には言っている』と。債務超過である限り、チームは存続の危機に立たされているわけです」「三浦知良(現ヴィッセル神戸)ら有名選手を放出したことで、全体の年俸を抑えたり、移籍金が入ったりしたので財務面も改善できました」「スポンサーについては、特定の親会社に過剰に依存していては危ういと考えていました」「そこで小さい金額でも構わないので、なるべく多くの会社から集めるようにしました」「この新規開拓で、今では親会社の出す金額はピーク時の半分です」「この4年間で、経営内容は大きく改善しました。当面の課題だった債務超過は、2003年度で一掃できる見込みです。借入金も半分になりました。これでJ2に降格しなければよかったのですが…。それでも自分としては、最低限の目標はクリアしたと思います。」

日経ビジネス 2004年1月12日号「敗軍の将、兵を語る 人物:石崎 恒夫 氏[京都パープルサンガ前社長] 2度目の降格でレッドカード」より引用

 

うまくいかなかった事も多かったかもしれない。しかしながら、史料を集めてみると、歴代の社長の中でも最もチャレンジングかつ先進的な取り組みが目立つ人物。財務面の立て直しと合わせて、今日の京都サンガに繋がる重要な働きをされた方だと思われる。なお、当時の京セラがどれだけ金額を拠出していたか、2000年12月4日付京都新聞朝刊での後援会アワードパーティーに関する報道によると、

「J2落ちの責任は加茂氏にある。フロント刷新は考えていない」「以前に社長はすでに代えている。何でもかんでも責任をとらせばいいわけではない」「フロントもカズの処遇に悩んだと思う。J2は試合数も増え体力的にもたないかもしれない。使い続けてぼろぼろにするのがカズの為になるのかどうか…」とする稲盛名誉会長の発言と同時に、「また、京セラが今季出資した広告宣伝費など八億円を、来季増額する方針も明かした

と報じられている。

 

 

4代目社長:梅本徹(2004.1〜2010.1)

※写真:2009年イヤーブックより

◾️経歴

1967年 京セラ入社

時期不詳 棚倉工場工場長、資材本部管理部長など歴任

2002年 京都パープルサンガ事業本部長に就任(出向)

2002年 3月:同社専務取締役

2004年 1月:同社代表取締役社長

2010年 1月:同社代表取締役会長

2010年 12月:同社会長を辞任

社長就任2年前に就任し、すぐに専務昇進。後の社長就任は既定路線だったのかもしれない。在任期間も長く、記憶に新しい人も多いのでは。

主な出来事としてはグルノーブルとの提携やサンガフレンズスクエアの設置など。スカラーアスリートプロジェクトが発足したのは一応梅本体制下であるが、主導したのは柱谷幸一氏。

終盤は当人のカラーより加藤久氏のカラーの方が強かったか…?正直、ビジネス的に何かを成し遂げたかというと…特筆すべきことはない。実際問題、梅本氏は京セラ本体の取締役を経験していない初の社長であり、京セラ(というか名誉会長)の力の入れ具合が透けているような。。会長へ昇進し、後進へスムーズにバトンタッチを果たした数少ない社長だが、2010年のJ2降格の責任を取る形で辞任。

J1復帰および柳沢敦ら大型補強に成功した2008年は観客動員数が史上最多を記録し、成績という面では成果あり。しかし同年にリーマンショックが発生。京セラの財布の紐も硬くなったのか、年俸交渉でも「不況」を持ち出すなど。やはりちょうど良い"調整役"感が。

>柳沢の年俸が微増だった理由について、日本経済の「不況」によるものと説明。11日のミーティングでは梅本社長から全選手に「不況なので交渉をする時は、それも頭に入れてほしい」と異例の要望が出されたという。

 

 

5代目社長:今井浩志(2010.1〜2015.8)

※写真:著者撮影

◾️経歴

1981年 京都産業大学国語学部卒

不詳  京セラ入社

2008年 京都パープルサンガ事業部長兼営業企画部部長に就任(出向)

2009年 同社専務取締役に就任

2010年 1月:同社代表取締役社長に就任

2015年 8月:同社社長を辞任

梅本氏と同じルートでの社長就任。京セラ時代の経歴は不明ながら、当時聞いた噂ではクレサンベール(宝石部門)等を経てとかどうとか。前任者の梅本氏同様に取締役や執行役員は経験しておらず。

2010年度末で債務超過に陥った影響もあり、担った役割はコストカッター。おそらく京セラの意向を強く反映してではないか…と推測される。柳沢への戦力外通告という、10年前のカズ0円通告と同じ事を再度実行した際の社長でもある。

とにかくコストを削ることと、社長日記を更新するくらいが目立った仕事。最終的にはサッカー素人ながらチーム強化に介入し、J3降格危機を招く。自身が主導で編成に加わったほか、4月の時点で辞任を申し出た和田監督(当時)を自身の進退にも関わる為か慰留させ、最終的に稲盛名誉会長の"カミナリ"が落ちて監督交代。当人もシーズン途中に社長を辞任する驚きの結末となった。うーん、やはり終盤は特に残念でした。

京都が柳沢の退団とその経緯を発表 | ゲキサカ

京都サンガが今井浩志社長の辞任を発表 後任に山中大輔氏 : ドメサカブログ

監督人事権を持つ今井社長は和田前監督が4月に辞任の意向を提出した際も“却下”。結果として低迷の一因となる監督交代時期の遅れを作ったとはいえ、引責による任期途中での退任は異例のケースだ。

 

 

6代目社長:山中大輔(2015.8〜2018.12)

※写真:https://twitter.com/kyoto_np/status/877002456122630145?t=534fgdNYiBAwwJko6LbXBQ&s=19 より引用

◾️経歴

1981年 同志社大学法学部卒

1981年 京セラ入社

2008年 同社半導体事業本部半導体部品国内営業部部長

2013年 京セラディスプレイ代表取締役社長

2015年 6月:京セラサーキットソリューションズ営業本部副部長

2015年 8月:京都パープルサンガ代表取締役社長に就任(出向)

2018年 12月:同社代表取締役社長を辞任

コストカットの今井氏とは反面、めちゃくちゃお金を使って終わった山中社長。子会社の社長経験者は初代:西村社長以来2人目。経歴からしても、梅本氏・今井氏より王道ルートで、期待を持ったものです。当時の京セラ(株)および(株)京都パープルサンガ代表取締役会長である久芳会長とは、半導体部品事業本部長と半導体事業本部国内営業部長の関係性ですね。日経新聞のコラムでも久芳会長とのエピソードが披露されていました。

就任直後はちゃんとサポーターズカンファレンスを開催して、あれこれと発信。威勢も良く、実際にポジティブな変化・改善箇所も合ったのですが…

 

「しかしお金の高い選手も取らないと勝てない。若手ももちろん育てるが、セカンドの選手がしっかりしていないと今季の天皇杯のような苦しい試合になる。だから来年は胸についている星を取りに行きたいと思っている。そうするとお金を掛けざるをえない。」

「大手スポンサー様からのご支援も取り組みます。先ほど「にわとりが先か」、「卵が先か」で今回「卵が先」と申しましたのはそういうことです。」

「(質問)ちなみに、京セラからの本気度というか、前は頼りない感じだったんですけども、その辺のパイプみたいなものは、変わったというか、力を入れているというのはあるんでしょうか。
(山中)私の本気度が、スポンサー様の本気度を上回る気迫が有れば大丈夫です。それは、どっちがサンガが好きかの勝負ですよ。だから、誰やったかな。ここにいらっしゃる方に言われましたね。「また、あんた腰掛やろって。」言われましてね。
「命がけでやるわい。」って言い返しましたけど、それは嘘ではございません。」

「私は、招待事業を除きばらまき事業は廃止したいと思います。自分たちのコンテンツを陥れてどうするんだというのが思いです。年間チケットをご購入の方に失礼ですよね。」

 

悪夢の布部・小島時代の到来と共に徐々にトーンダウン。開催を約束したサポーターズカンファレンスの開催見送りや、当初のスタンスと打って変わって増えていく招待券ばら撒き。口八丁が目立つようになると、最終的にはクラブスタッフが大量に退職……京都新聞にも記事が載るほどの異常事態でプロサッカークラブとしての体を成していませんでした。文字通りのボロボロ。(今も本質は…)

>昨年から今年にかけて、記者の知る限り、クラブのスタッフが4人退職した。いずれも広報や営業などで10年前後勤務してきた人たち。去り際、このクラブに漂う閉そく感を口にしていた。重労働の割に低賃金とされるプロスポーツ業界は人材の流動性が激しいが、ここまで立て続けに辞めるのは記憶にない。

J2最下位の京都サンガ、昨年からスタッフが立て続けに退職…クラブに漂う閉塞感を京都新聞が伝える : ドメサカブログ

 

この年、J3降格危機の責任を取る形で辞任。最終的には負債がとんでもなく大きくなってしまいましたね。

ただ、山中社長就任⇒強化費の増額(ただし費用先行)は、間違いなく京セラの姿勢のポジティブな変化があった。2億3億の赤字を出してまで、昇格そしてJ1連覇を目指す…そんなプランが許諾できるはずがない。開幕戦で稲盛名誉会長自ら挨拶されたのを含めて、明らかに熱がこもっていた。

 

からの、布部氏就任。2018年にかけて熱が冷めていくのが目に見えてわかる…なんなら撤退の危機すら感じる…。激動でしたね。

もし、あの時J3に降格してしまっていたら……残留へ導いた当時の選手たちへの多大な謝意を抱くと共に、私はここ数年の大宮アルディージャをなかなか直視できないのです。あまりにもifルート過ぎて…。

 

 

7代目社長:伊藤雅章(2018.12〜2024.3)

※写真:伊藤雅章による特集記事 人として正しい道を貫け|致知出版社 より引用

◾️経歴

不詳 関西学院大学商学部

1981年 京セラ入社

以降、医療材料関連事業部・営業管理・労働組合本部書記長など

1998年 同社企業広報部責任者

2004年 7月:同社広報室長 ※前任は徳留正美氏

2008年 同社執行役員総務人事本部広報室長

2010年 同社執行役員総務人事本部副本部長

2012年 京都パープルサンガ社外取締役に就任

2013年 京セラ執行役員総務統括本部副本部長

2015年 同社執行役員総務統括本部長

2016年 同社執行役員総務人事本部副本部長

2018年 12月:京都パープルサンガ代表取締役社長に就任(出向)

2024年 4月:同社代表取締役副会長

お馴染み伊藤社長もとい現副会長。京セラ本体の執行役員が就任ということで、格付け的には石崎社長以来である。広報室長として稲盛名誉会長の近くで従事した経験があり、以降も直々に指導を受けていたとか。見ての通り、ガチガチの総務畑。

なお、2018年に社長に就任した際のことは「当時J3降格が危ぶまれた京都サンガF.C.の立て直しを山口会長に命じられ、代表取締役に就いたのは2018年。稲盛会長からも『がんばれよ』と送り出していただき」と振り返っている。つまり、文字通り受け取れば、誰を出向させるかは稲盛名誉会長個人の考えではなく京セラとしての判断…?

経歴を見ての通り、長年にわたり広報畑・人事総務畑に居られた人物で、女子駅伝部部長なども兼務。マスメディアや行政などとのツテも持っておられ、新スタジアム開業も睨んで派遣されたのかもしれない。それまで温度感が急速低下していたように見えていたが、(既に社外取締役だったとは言え)執行役員クラスの出向と新スタジアムの20年間に及ぶ命名権獲得は、京セラの姿勢が現れたものと言える。

個人的に思う伊藤社長最大の功績は、減資の実現と飯野新社長へのスムーズな引き継ぎ。先日直接お話した際に社長自身が振り返っておられたが、戦績低迷→引責辞任→突然の社長就任→低迷→引責辞任…この負のサイクルを打ちとめて、時間をかけつつ引き継ぎができる恩恵はクラブにとっても新社長にとっても大きい。

(なお、ここまで幾度か触れてきた資本金の話については、近日中に別記事で触れたいと思う。)

 

広報責任者の立場に長年居たのに、ステークホルダーへの発信は過去の体制対比でもかなり不足しており残念だったが、財界や政界との良好な関係構築は、広報畑に居た氏ならではの功績。今後も副会長としてクラブに残る為、飯野社長に代わって充実した外交活動の継続に期待したいところである。

「TEAM京都コンソーシアム 設立」のお知らせ | 京都サンガF.C.|オフィシャルサイト

亀岡支部9月度例会「亀岡経済同友会との合同例会!」 | 京都中小企業家同友会

2023年3月23日(木):例会 | 京都モーニングロータリークラブ

 https://www.facebook.com/KYOTOWEST/photos/a.7068294866514735/8040294259314786/?type=3

 

 

8代目社長:飯野晃(2024.4〜)

※写真:京都サンガの新社長に飯野晃氏が就任へ 伊藤雅章社長は副会長に|京都新聞 より引用

◾️経歴

1988年 立教大卒

2001年 神戸大学MBA修了

2006年 三洋電機 国内携帯電話ビジネスユニット担当部長

2008年 4月:三洋電機(テレコムカンパニー国際携帯電話部門統括部長?)→京セラ(法人第二移動通信機器事業統括部長?)

2010年 Kyocera Communications Inc.(米国)

2013年 京セラ

2015年 6月:KYOCERA Communications,Inc  代表取締役社長

2016年 7月:KYOCERA International,Inc.(米国) Vice President

2021年 4月:京セラ通信事業本部長副本部長

2022年 4月:同社執行役員通信事業本部長

2024年 1月:同社執行役員総務人事本部サンガ支援推進部部長

2024年 4月:京都パープルサンガ代表取締役社長に就任(出向)

さて、新社長の飯野氏。史料が少なく不明な点もあるが、とにかく調べてわかったのは、京セラ生え抜きの人材ではないということ。少なくとも2008年以前は三洋電機の携帯電話事業部門に在籍三洋電機のM&A(売却)により、京セラへ転籍。以降、携帯電話関連の部門を歴任している。

京セラ執行役員の出向は伊藤氏に続く2人目。子会社の社長経験者は西村氏・山中氏以来3人目で、海外子会社の社長経験者は初である。

興味深いのは、神大MBAを修了している点。海外子会社の執務・社長経験がある点。そして方針転換中の携帯部門の中核人材であった点である。

なぜ京セラは個人向けスマホ事業から撤退? 高耐久スマホ「TORQUE」は今後も継続 | 日経クロステック(xTECH)

 

総務畑・広報畑の伊藤社長は、新スタジアム移転を控えた中での地均しそして行政や財界との調整役を任された。その後継として、歴代の人材の中でもtoC向け営業やマーケティング、海外ビジネスに対して明るいであろう人物が据えられた。

好意的に解釈すれば、ホップ・ステップ・ジャンプの、ステップのフェーズへと移ろうとしている。親会社である京セラにはサンガを活用しようとする気力がある。そうは思えないだろうか?

 

 

 

 

親会社からのバトン

冒頭にて「日本のサッカークラブに於いて、社長の交代が意味するものは大きく、1つのエポックメイキングでもある。」と述べた。

これは、親会社の経営状態や方針に、子会社であるサッカークラブは良くも悪くも依存する傾向が見受けられる為である。

 

例えば、横浜Fマリノスを例に挙げた論文。昨年読んだが、経緯を改めて見返すことができて面白かったので、是非見てもらいたい。

親企業が J クラブの戦略性に与える影響と対応:クラブの自律性と主体性の分析

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsm/advpub/0/advpub_2022-004/_pdf

 

また、ガンバ大阪の事例。

サッカースタジアム建設へ動き出した金森社長。跡を受け継ぎ、J1復帰と寄付金集めに成功し、無事に開業へ漕ぎ着けた野呂社長。完成したスタジアムの活用と、スポーツをパナソニックグループの1つの軸に据えていく現在。そこには親会社の意向と本気度が映る。

2016年 吹田スタジアムの価値<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」 - スポーツナビ

朝日新聞出版 最新刊行物:書籍:サッカー界における顧客の創造

パナソニック スポーツが描く「企業とスポーツ」の新たなシナジー|SPORT LIGHT |転職ならdoda(デューダ)

「ガンバ大阪の10年後のために何ができるのか」――パナソニックスポーツ・久保田剛社長インタビュー - footballista | フットボリスタ

 

 

今回の社長交代、個人的に期待を寄せるのは「社内体制の改善」「顧客第一主義の徹底」「積極的な事業展開」「ヘッドハンティングを含む番頭の育成」の4点。

 

今の京都は、単純に人が足りていない。足りていないのに、マンパワーを要する様な仕組みになってしまっている。幸いにも近年の京都は収支も良く、資本の蓄積も進んでいる。チーム強化費の積み増しも重要だが、クラブをより大きくするには選手よりも先ずスタッフに投資しなければいけない。

 

そして事なかれ主義からの脱却。顧客ではなく、社長の顔色を見ながら判断するような会社に発展はない。経営をよくよく理解し、社長に対してアクセルとブレーキを踏み分けられる有能な人材が必要である。

なぜチームはミスを最小限にする仕組みを作らずに「積極的にやれ!」で、クラブは仕組みを作らずに「少しでも危険性があるなら、橋は渡らないでおきましょう…」なのか。どちらも厳しく言えば怠慢が過ぎる。それは仕事ではない。

現場の意見は通りづらく、逆に鶴の一声で変わってしまう。意見が通る。そんな土壌では"成長"は生まれない。経営理念の実践には、変革がマストである。

鹿島アントラーズ変えたメルカリ経営 「竹やりじゃ戦えない」 - 日本経済新聞

小泉氏:対面が前提の行動様式になっていて、稟議の承認など、ほとんどの業務が紙ベースで行われていました。

正社員50人ほどなのに、承認作業にはハンコが7個も必要でした。人生で初めて紙の決裁箱を見ましたね。業務をよく知っているマネジャーと担当役員だけで十分なのに、何のためのチェックかを理解しないまま、中間層も全員押印するのは非効率だと思いました。

アントラーズがバックオフィス業務を一新 小泉文明社長が語るDX | バックオフィス進化論 presented by インフォマート

 

 

4月1日の人事異動は、伊藤代表取締役副会長と飯野代表取締役社長の就任だけではない。昨年就任した三品取締役(マーケティング本部長)が退任。そして社外取締役には青木昭一/京セラ取締役が就任している。

 

後者は関連会社統括本部長として…かもしれないが、三品さんはわずか半年での退任。普通に考えれば、後任の本部長が出向してくるのだろう。飯野社長就任に合わせての変化には何かしらの意図があることは間違いない。

 

京セラは前期売上高2兆円を突破。引き続き半導体需要は高く、右肩上がりの成長が見込まれる中で、少しずつ企業カルチャーにも変化が見られる。

稲盛和夫氏創業の京セラも悩む、「社風」ってそもそも何だ?:日経ビジネス電子版

京セラ、中期計画の作成に初めて着手した事情 「アメーバ経営」は企業の実態に合わせて見直し | トップに直撃 | 東洋経済オンライン

 

『売上最大、経費最小』の徹底。大掛かりな設備投資や株価対策を考えれば、京セラグループの売上と利益が計画通り大きく伸長しても、いきなり日立製作所やヤンマーほど支援額が増える事は想定しづらい。

しかし、今回の社長交代には好ましいコンテクストがあると個人的には睨んでいる。(珍しく)期待をしている。

 

飯野社長は、どんな人物で、一体どのように手腕を発揮するのか。その一挙手一投足を注意深く見守っていきたい。

 

 

See you soon…!

 

 

追記:2024年4月13日、京都新聞による飯野社長宛インタビュー記事が掲載されています。

京都サンガの新社長「まだファンは増やしていける」 クラブ強化への思い語る 【拡大版ロングインタビュー】|スポーツ|地域のニュース|京都新聞

 

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