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経営者・稲盛和夫の決断から今日に至るまで -株式会社京都パープルサンガ会長・名誉会長変遷-(下)

 

本記事は京都サンガF.C.の運営会社:株式会社京都パープルサンガ代表取締役社長の変遷について書いた記事の後編です。

メインの記事を読んだ上で補完材料としてお読みください。

 

 

 

 

歴代会長

初代会長:稲盛和夫(会長1994.1〜1999.7・名誉会長1999.7〜2022.8)

※写真:【アーカイブ】(証言そのとき)不屈不撓の一心:1 まずは従業員の幸せ 稲盛和夫さん:朝日新聞デジタル より引用

◾️経歴

1932年 鹿児島市にて出生

1955年 鹿児島大学工学部卒

1955年 京都の松風工業(株)に入社

1959年 京都セラミック(株)を設立。取締役技術部長に就任

※創業者であるが工場・資金提供を行った宮木男也/株式会社宮木電機製作所(※京都サンガ シルバースポンサー)初代社長に代表取締役を譲った

1966年 京都セラミック(株)代表取締役社長に就任

1972年 9月:京都セラミックが東証2部(当時)に上場を果たす

1982年 京都セラミック(株)から京セラ(株)に商号変更

1983年 盛友塾(後に盛和塾へ改称)発足

1984年 6月:第二電電企画(株)を設立(後のKDDI)。代表取締役会長に就任

1985年 6月:京セラ代表取締役会長兼社長に就任

1991年 9月:盛和塾塾生の長澤浩三/長沢紙化工業(株)社長より、新たに発足するプロサッカーリーグ加盟へ向けて、京都紫光クラブのチーム経営について依頼を受けるも固辞

1993年 5月:日本初のプロサッカーリーグ Jリーグが開幕。この年の流行語大賞に「Jリーグ」が選出されるなど一大ブームに

1993年 8月:「京都にJリーグを市民の会」が発足。弁護士・桂充弘氏が京セラ山科本社へ直談判

1993年 9月:第二電電(株)が東証2部(当時)に上場を果たす

1993年 9月18日:小谷隆一/京都商工会議所副会頭・イセトー代表取締役会長、長澤浩三社長、京都FA関係者らの訪問を受ける。京都パープルサンガのプロ化・Jリーグ加盟へ向けた支援について応諾する

1993年 11月27日:京都パープルサンガJリーグ加盟へ向けて新会社設立の正式決断を下す

1993年 12月20日:(株)京セラパープルサンガの設立発起人会を開催

1994年 1月13日:(株)京セラパープルサンガを設立。初代代表取締役会長に就任

1995年 10月:京都パープルサンガがJFL2位以内を確定させ、Jリーグ昇格内定

1996年 7月:京都パープルサンガ後援会設立。発起人として名を連ねる

1997年 6月:京セラ取締役名誉会長、第二電電取締役名誉会長に就任

1999年 7月:京都パープルサンガ代表取締役会長を退任。同社代表取締役名誉会長に就任

2000年 10月:第二電電KDD日本移動通信と合併し、(株)ディーディーアイを設立。取締役名誉会長に就任

2001年 6月:ケイディーディーアイ(株)(旧:ディーディーアイ)取締役退任。同社最高顧問に就任

2003年 1月:Jリーグ京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)が天皇杯優勝

2004年 9月:2003年1月に浮上した京都市伏見区横大路へのサッカースタジアム建設計画に対して私財を提供する意思を公言

2005年 7月:京セラ取締役を退任。同社名誉会長に

2005年 12月:サッカースタジアム計画への私財提供について、誤解等を招いたとし取りやめの意向を示す

2010年 2月:日本政府より要請を受け、倒産した(株)日本航空JAL、現:日本航空(株))代表取締役会長に就任

2010年 3月:(株)京都パープルサンガ代表取締役名誉会長を退任。同社名誉会長に就任

2010年 11月:J1・京都サンガF.C.の4度目のJ2降格が決定

2012年 2月:日本航空代表取締役会長退任。同社取締役名誉会長就任

2012年 9月:日本航空東証1部に再上場を果たす

2013年 4月:日本航空取締役退任。同社名誉会長就任

2015年 4月:日本航空名誉顧問就任

2019年 自身の年齢等を理由に盛和塾を閉会

2020年 2月:亀岡市に完成した悲願の新スタジアム"サンガスタジアムbyKYOCERA"にて、プレシーズンマッチ:京都サンガF.C.対セレッソ大阪を観戦

2021年 11月:J2・京都サンガF.C.が12年ぶりのJ1昇格を果たす

2022年 8月24日:京都市伏見区の自宅にて逝去。享年90歳

京セラ(株)創業者であり、(株)京都パープルサンガ初代会長・初代名誉会長。DDI創業そしてKDDIauブランド)創設により通信自由化に尽力し、日本航空JAL)を再建……経歴については語るまでもない。

京セラを一代にして巨大コングロマリットまで成長させた後の1993年。京都にJリーグをの声に応じる形で運営会社への出資を決断。以降、今日まで京セラがメインスポンサーとして支援してきた。また、2003年1月1日付で報じられた京都市による伏見区横大路へのサッカースタジアム整備計画については、個人での資金供与を明言。スタジアムや練習場での応援、熱いゲキなど、物心両面でサポートを続けてきた。その"熱"は、熱すぎるが故の様々な影響もあったが…

 

「試合後、稲盛和夫オーナー(63)は「何をやってる、緊急事態だ」と血相を変え、控室のオスカー監督へ詰め寄った」

日刊スポーツ1996年4月7日号「Jリーグ 京都-清水 京都、Jワーストの開幕6連敗 オーナー怒り爆発」より引用

「これまで結果が出なかったことには経営陣にも責任がある。監督をコロコロ代えたのは、サッカーを知らない無知な素人が、五里霧中でもがいた結果でもある」

サッカー J1 サンガと稲盛和夫さん 降格後も変わらぬ支援 下部組織、トップクラスの環境構築 /京都 | 毎日新聞

億単位の予算が必要になるプロジェクトにもかかわらず、かねてより「サンガで預かった選手たちには、幸せで素晴らしい人生を送ってほしい」という想いを持つ稲盛名誉会長は「しっかり進めなさい」と、プロジェクトの推進をその場で了承した。

https://www.jleague.jp/img/aboutj/document/jnews-plus/012/vol012.pdf

 

間違いないのは、稲盛和夫なくして京都サンガのプロ化・Jリーグ昇格そして今日までの存続はあり得ないということ。

2022年8月に逝去。ただ、その前に念願の新スタジアムでの試合観戦。そしてJ1復帰を見届けている。

クラブハウスに飾られた「敬天愛人」の書と、スタジアムに掲げられる横断幕だけでなく、今もきっと氏は京都サンガF.C.のことを見守っていることだろう。

 

1995年10月22日 太陽が丘陸上競技場ブランメル仙台を下し、Jリーグ昇格内定

※写真:「京都サンガ生みの親」稲盛和夫さん、チーム支え続け 「J1で優勝争いできるチームに」最後まで夢描く|社会|地域のニュース|京都新聞 より引用

 

フォト特集】京セラ創業者・稲盛氏死去 JAL再建やKDDI ...

1999年8月24日 三浦知良選手加入会見(左から伊藤謙介会長、加茂周監督、三浦選手、稲盛名誉会長)

※写真:【フォト特集】京セラ創業者・稲盛氏死去 JAL再建やKDDI旗揚げ - 産経ニュース より引用

 

2003年1月1日 天皇杯優勝を果たし、国立競技場に舞う

※写真:「京都サンガ生みの親」稲盛和夫さん、チーム支え続け 「J1で優勝争いできるチームに」最後まで夢描く|社会|地域のニュース|京都新聞 より引用

 

2020年2月9日 念願の新スタジアム「サンガスタジアムbyKYOCERA」にて、セレッソ大阪とのプレシーズンマッチを観戦

※写真:サンガスタジアム by KYOCERAこけら落としに出席(2020年) | Facebookアーカイブ | 稲盛ライブラリー | 稲盛和夫 オフィシャルサイト より引用

 

京セラ(株)本社の名誉会長執務室内で大事に飾られていた記念写真

※写真:筆者撮影

 

 

※参考 取締役球団部長:長澤浩三

※写真:盛和塾機関誌第9号より引用

◾️経歴

不詳 洛北高校卒東京の企業に就職も、1年で退職し京都で独立

不詳 長沢紙化工業(株)設立

1974年 友人である嶋谷征四郎/京都紫光クラブ監督からの要請を受けて資金援助を始める。ブラジルへ選手スカウト活動、または選手を社員として雇用するなど、物心両面で様々な支援を行なった

1991年 加入していた盛和塾の塾長であり、京セラ(株)代表取締役会長兼社長である稲盛和夫紫光クラブの運営・Jリーグ加盟について直談判も不調に終わる

1993年 長沢紙化工業の関連会社である(株)教育研究社が運営母体となり、JFL1部に昇格を果たした京都紫光クラブが"教育研究社FC京都パープルサンガ"に

1993年 9月18日:桂充弘氏による熱心な活動、市民25万人の署名を原動力に、小谷隆一/京都商工会議所副会頭・イセトー代表取締役会長・京都FA関係者と稲盛和夫/京セラ会長宛訪問し交渉。京都パープルサンガのプロ化・Jリーグ加盟へ向けた支援を取り付ける

1993年 京セラ主体で新法人設立が決まり、チーム運営権を委譲する事に

1994年 1月13日:京セラが筆頭株主として、運営法人(株)京セラパープルサンガが設立。法人(長沢紙化工業)が株主として関与するほか、取締役球団部長に就任

2005年 6月24日:逝去

稲盛和夫がサンガの父ならば、彼もまた父の一人。京セラによる新法人設立までの長期間にわたって紫光クラブの活動を支援した偉人。この人があってサンガがある。資料が全くもって乏しいのが残念である。

 

「この度27年間お世話になった京都サンガを退団することになりました。このチームの歴史は初代社長の長澤浩三氏と強化部長の嶋谷征四郎氏の『京都にJリーグクラブを作りたい』という強い思いから、当時の選手達は鴨川などのいろいろな所でイベントをして人を集め、署名活動にご尽力いただいた多くの関係者により25万人の市民の皆様からの署名を頂き京都パープルサンガが誕生したところから始まりました。」

京都の“生き字引”、27年在籍スタッフが退団へ | ゲキサカ

 

 

2代目会長:伊藤謙介(1999.7〜2009.12)

説明省略

 

3代目会長:梅本徹(2010.1〜2010.12)

説明省略

 

4代目会長:川村誠(2011.3〜2013.3)

◾️経歴

1973年 静岡大学工学部卒

1973年 京都セラミック(株)に入社

2001年 京セラ(株)取締役就任

2003年 同社取締役退任・執行役員常務に就任

2005年 6月:京セラ(株)代表取締役社長兼COO就任(7代目社長)

2006年 4月:同社代表取締役執行役員社長

2009年 4月:同社代表取締役会長

2011年 3月:(株)京都パープルサンガ代表取締役会長に就任(兼務)

2013年 3月:京セラ代表取締役会長を退任ならびに京都パープルサンガ代表取締役会長を辞任

2013年 4月:京セラ取締役相談役

2013年 6月:同社取締役退任。相談役に就任

 

5代目会長:久芳徹夫(2013.3〜2017.3)

◾️経歴

1979年 3月:九州大学工学部卒

1982年 6月:京都セラミック(株)に入社

2000年 7月:京セラ(株)自動車部品事業部長

2002年 8月:同社ファインセラミック統括事業部長

2003年 6月:同社執行役員

2005年 6月:同社執行役員常務ファインセラミック事業本部長兼半導体部品事業本部長

2007年 4月:同社執行役員専務

2008年 4月:同社取締役兼執行役員専務

2009年 4月:京セラ(株)代表取締役社長兼執行役員社長に就任(8代目社長)

2013年 3月:(株)京都パープルサンガ代表取締役会長に就任(兼務)

2013年 4月:京セラ代表取締役会長

2017年 3月:同社代表取締役会長を退任ならびに(株)京都パープルサンガ代表取締役会長を辞任

2017年 4月:京セラ取締役相談役就任

2017年 6月:同社相談役就任

 

6代目会長:山口悟郎(2017.3〜)

※写真:役員一覧 | 企業情報 | 会社案内 | 京セラ より引用

◾️経歴

1978年 3月:同志社大学工学部卒

1978年 4月:京セラ(株)入社

2002年 4月:同社半導体部品国内営業部長

2002年 8月:同社半導体部品統括営業部副統括部長

2003年 6月:同社執行役員

2004年 7月:同社半導体部品統括営業部長

2005年 6月:同社執行役員上席・半導体部品事業本部副本部長 兼 半導体部品統括営業部長

2009年 4月:同社執行役員常務・半導体部品事業本部長

2009年 6月:同社取締役(執行役員常務・半導体部品事業本部長兼務)

2013年 4月:京セラ(株)代表取締役執行役員社長)

2017年 3月:(株)京都パープルサンガ代表取締役会長(現在)

2017年 4月:京セラ(株)代表取締役会長(現在)

お馴染み、現会長の山口会長。京セラ本体にとって久方ぶりの営業畑の社長→会長である。ちなみに私は京都新聞に定期連載されている山口会長のコラムが好きです。これからも楽しみにしております。

海外出張と秘書 京セラ会長・山口悟郎氏|経済|経済のニュース|京都新聞 ON BUSINESS

 

 

※参考 代表取締役副会長:伊藤雅章(2024.4〜)

説明省略

 

 

全変遷

いかがだっただろうか?

本当は役員全員を振り返りたいところだが…社外取締役を全員調べきるには限度があるので避けておく。ちなみに94年の設立時役員ら一覧は以下の通り(役職・社名は当時)。

代表取締役会長稲盛和夫

代表取締役社長西村勝

常務取締役:奥村常雄

取締役

長澤浩三(長沢紙化工業社長)、伊藤謙介(京セラ社長)、山内溥任天堂社長)、小谷隆一(イセトー社長/京都商工会議所副会頭)、村田純一(村田機械社長)、井上太一(京都銀行頭取)、塚本幸一(ワコール会長/京都商工会議所会頭)、千玄室(裏千家家元)、坂上守男(京都新聞社社長)、梅村正廣(京セラ常務)、森篤(同取締役)、徳留正美(同秘書室長)、上西亜沙(同相談役)

監査役

西枝攻(京セラ監査役)、伊藤友二(同監査役)、高橋幸男(同取締役)

顧問

藤田静夫日本サッカー協会名誉会長)

 

プロ化以降30年超の歴史がありながら、調べた限りではこうした社長らの変遷をまとめた記事は出てこなかったので、新社長就任のタイミングでまとめることができてよかった。簡単に歴史に触れられるようにしておく事が大事。(と勝手に信じている)

「知らない」「わからない」「だから何も言わない」ではない。発言には相応の責任が要る。考えるには根拠が要る。なので、足で稼ぐ。お金と時間をかけても徹底的に調べる。聞いてみる。わからないなら、わかるまでやる。

何が長所で何が短所か、どうすればより良くなるのか。曇りなき眼で見定めるには、相手をよくよく知ることが第一歩。

 

次は資本金。これは直ぐ終わる。問題は強化担当者……

初代強化部長:藤田一郎氏から安藤淳氏まで、資料をお持ちの方は是非教えてください。これが一番骨が折れるので。

 

See you soon…!

 

 

 

【参考資料(一部)】

閉鎖事項全部証明書

「めざせJリーグ!京都パープルサンガ」紫翠会:1994年6月出版

京セラ(株)IR資料

盛和塾(機関誌)

9号,96号

 

京都新聞

1993年9月30日 朝刊1面「京都パープルサンガJリーグ準加盟きょう申請」・夕刊1面「京都サンガJリーグ準加盟申請」

1993年12月21日 朝刊1面「パープルサンガJリーグ入りめざすぞ 「支援新会社」設立へ」

1994年1月12日 朝刊1面「Jリーグ来年こそ サンガ運営会社が発足」

1998年1月17日 朝刊23面「サンガ飛躍へシュート 城陽市に新練習場が完成」

1998年11月28日 朝刊30面「京都パープルサンガの赤字「辛抱するしか…」京セラ・稲盛名誉会長 支援継続を表明」

1999年7月2日 朝刊「サンガフロント、一新」

2000年5月12日 夕刊11面「サンガが訪問販売」

2000年10月27日 朝刊22面「サンガ、事務所移り活気」

2000年12月1日 朝刊23面・30面「カズに戦力外通告

2000年12月4日 朝刊20面「フロント刷新考えぬ」

2000年12月9日 朝刊23面「迷走サンガ③ 現場と溝 信頼築けず」

2000年12月12日 朝刊25面「迷走サンガ⑤ 身近な地域活動拡大へ」

2001年2月26日 朝刊23面「責任を問う声相次ぐ サンガ サポーターと意見交換」

2001年3月2日 朝刊25面「Return To J1 サンガの挑戦(下) 低迷打開 地道な努力を」

2001年10月10日 朝刊22面「サンガ 観客動員にも総力戦」

2001年10月12日 朝刊30面「サンガと大学コンソーシアム」

2001年10月18日 朝刊29面「観客数」

2002年1月30日 朝刊20面「ダッシュJ1(7)将来V足場の年 観客1万狙い地域活動に力」

2002年2月28日 朝刊30面「J1再出発京都サンガ 愛されるチーム 地域一体地道に」

2002年3月29日 朝刊22面「京都パープルサンガ 専務に梅本氏就任」

2004年12月24日 夕刊1面「横大路スタジアム具体化へ 府・京都市京商が基本案 京都サンガのホーム 3万人収容で」

 

朝日新聞

1996年4月28日 東京版朝刊「Jリーグ また敗れたサンガあり、10連敗」

1998年6月7日 東京版朝刊「オフト監督が辞任「クラブに不満ある」Jリーグ・京都」

 

毎日新聞

1996年9月5日 東京版朝刊「サッカー Jリーグ・京都の代表に徳留正美氏」

 

スポーツニッポン

1996年12月4日「オーナーと会談 ラモス残留へグラリ」

1996年12月5日「京都 ラモス残留明言」

1997年8月16日「ラモス強引獲得 見返りなし…京都涙の会見」

 

日刊スポーツ

1996年4月7日「Jリーグ 京都-清水 京都、Jワーストの開幕6連敗 オーナー怒り爆発」

1996年5月12日「Jリーグ京都 フロントを強化へ 川淵チェアマンがアドバイス

1996年12月5日「Jリーグ京都 ラモス瑠偉 年俸50%減も残留決定」

1996年12月12日「Jリーグ京都 山口敏弘 クラブと大ゲンカの末、退団濃厚」

 

日本工業新聞

1994年1月14日「稲盛・京セラ会長がスカウト攻勢 目指すゴールはJリーグ入り」

1995年8月25日「新役員/京セラ-専務・山村雄三氏。取締役・石崎恒夫氏、湯川勲氏、小森雄三氏ほか」

2003年4月11日「広報人:京セラ 企業広報部責任者・伊藤雅章さん」

2006年8月31日「三洋電、防犯機能付き携帯で保護者に訴求-市場規模より社会的意義」

 

日経ビジネス

2004年1月12日号「敗軍の将、兵を語る 人物:石崎 恒夫 氏[京都パープルサンガ前社長] 2度目の降格でレッドカード」