+1 プラスワン

〜チームプレーが無くなったら終焉の時〜 【2023J1】第23節 FC東京 vs 京都サンガF.C. @味の素スタジアム

 

 

 

 

FC東京 2-0 京都サンガF.C.

得点者

FC東京】36'渡邊 58'東

 

 

 

破綻済みのコンセプト

曺貴裁京都は、ボールを奪われれば即座に奪い返そうと高い位置からプレッシングを掛ける事を信条の1つとしている。即時奪回。いわゆる"ゲーゲンプレス"というやつである。場合によってはPA内に居る相手GKに対してもプレスを厭わず、コースを限定してジリジリと囲い込むよりも、相手選手へガンガン行こうぜ!な振る舞いが多い。

その一方で、京都は攻める際にはサイドチェンジやロングボールを多用する傾向がある。

 

これはどういうことか。

ボールを即座に奪い返すには、当然ながらボールを持った相手と距離が近ければ近いほどプレッシャーを掛けやすい。あるいは自分たちの繋ぎの過程において、ボールを失いやすい場所が事前に予測できていれば、ケアしやすい。

しかし、自分たちで長いボールを用いて距離をすっ飛ばすようでは、選手間の距離が空く為、プレスの二の矢・三の矢が繰り出しづらくなる。ボールを失った後に即座に奪い返すのは難しくなるのだ。

また、距離の短いパスと長いパスでは後者の方がプレーの難易度が自ずと高くなる。単純に蹴るのが難しい・収めるのが難しいだけではない。滞空時間や距離が長ければ、受け手に届く前にパスカットされる可能性も自然と高まる。手薄な方を攻めようとサイドチェンジを試みるのは良いが、奪われた場合にはむしろ広大なスペースを相手にプレゼントするリスクがある事も理解しなければならない。

 

Jリーグでは、横浜F・マリノスがハイプレッシングとショートパス主体の攻撃で優位性を築いているが、彼らは攻撃の時に守備の備えをし、守備の際に攻撃の備えができている為に、迷いなくチーム全員が連動できる。自分が今何をすべきかを導く力が日々のトレーニングで鍛えられているからこそ、組織の中で個人の特徴もより発揮しやすい。

マリノスはこの優位性を築き上げたからこそ、監督や選手が変われども、内容も結果も安定したパフォーマンスを残せていると言えよう。

 

 

ハイプレッシングがダメとか、ロングボールがダメとか、そんな話ではない。全てのプレーが組織の目標に対して効果的・有機的に結びついているかどうか。手段として機能しているのか。

要は「馬鹿と鋏は使いよう」なのだが、使いようがなってなさすぎる。成り立たせる上で避けては通れない矛盾が横たわり続けているよ、という話である。

 

 

京都もボールを繋ぐことをハナから放棄している訳ではない。むしろ和歌山キャンプを経て、前節(柏戦)もFC東京戦も後方から繋いで行こうとする意思の方が強く感じられた。しかし、チーム発足から2年半経ってもなお組織としてボールを繋いでいく能力は乏しい。

前述した様に、結局はボールを前方のFW目掛けて大きくすっ飛ばして陣地を回復するプレーに至ってしまう。

 

そもそも、曺貴裁京都は4-1-2-3の基本フォーメーションを2年半前のチーム発足時から使用している。

この手の3トップの両翼(WG)には、万国共通で運動量とスピードに長けるタイプあるいは得点力の高いサイドアタッカーを置く事が多いが、京都は宮吉・松田・武富・豊川・木下・一美らCFタイプないしセカンドトップ・シャドータイプの選手を配置する。

攻撃時にWGの選手がサイドに広がらずに中央へ位置取り、SBが非常に高い位置を取る事で変則的な5トップを形成する。これにより相手PA内に多くの選手を送り込み、クロスを送り込むことで、ボールを運ぶのが多少下手でも、数の暴力で物理的に迫力ある攻撃シーンを作り出そうとするのが曺貴裁京都特徴の1つである。

 


しかし、この「理想形」はJ2初年度の前半の前半でほぼたち消えになってしまった。J1では更に消えていった。

なぜならボール保持を落とし込めなさすぎるが故に、サイドバックが高い位置を取るのがリスキー過ぎて、自らブレーキを掛けるようになったからだ。(J2では戦力差によって相手を敵陣に釘付けできる場合もあったが、それでも結局の処、得点パターンはロングカウンターが主体であった。)

 

更にはこの理想形を実現させる重要なパーツであった、スピードと運動量に長けて、ドリブルで陣地の回復と敵陣への切り込みを担ってくれるタイプのSB(このチームではそれを「アクセル」と読んでいる)である荻原・飯田・白井の3名は、今夏の流出で誰一人とすら残っていない。

 

だが、代わりの補強は何も無かった。

というより、昨オフ〜開幕の時点で3トップに配置する選手はパトリック・木下・一美+木村(特別指定選手として昨年からチームには一部合流)とCFタイプの長身選手を次々獲得。更にこの夏、アラベス(スペイン2部)より原大智を獲得。

しかし、「アクセル」のサイドバックの補強は大卒新人の福田ただ1人のみで、チーム唯一の純粋な攻撃的サイドアタッカーだったパウリーニョも、期限付移籍期間満了に伴いチームを去った。

 

現場は現場でハイプレッシングとボール保持の両輪が噛み合っていないにも関わらず、またコンセプトを支えるサイドアタッカーが存在しないにも関わらず、未だに4-3-3に固執し、矛盾を放置し続けている。

クラブはクラブで監督に絶大なる信頼を寄せながら、監督の足らぬ点を補う様なアクションは結果として起こせず、本当に現場を支える気があるのかわからない。

 

常に矛盾だらけの京都だが、いよいよ本当に何がしたいのかわからない状態である。

 

 

 

行きすぎた個人主義

こうなると選手もお手上げだろう。

FC東京戦では、前半だけでも「チームの目標の為に、いつ何をするべきか」が正しく整理されていないシーン・選手間の意思疎通が取れていないシーンがいつも以上に露呈された。

 

1:40〜 敵陣CKフラッグ近くでのスローイン。投げて中央へ走り込む福田と、福田の居た場所へリターンする山田。たった二者間で、しかも簡単なスローインで意図が噛み合わない。

 

3:24〜 長友(相手左SB)を見ていれば良いのに、山田は長友を放棄して、ボールを持った野澤(相手GK)とエンリケ(相手左CB)へと距離を詰める。野澤は手に持ったボールを自ずとフリーになる長友へとスローイング。慌てて山田は戻り、中盤からは谷内田がプレッシャーへ行くも余裕の長友から楔のパス。金子が追いつけず一気にピンチを迎える。

Q.GKを含めた相手11人に対して、FP10人でマンツーマンするとどうなる? A.相手が1人どこかで余る。1人に対して2人でいけばもっと余る。

 

7:10〜 ディエゴオリベイラへ谷内田が対峙しにいく背後で、カバーリングに入らず同じ動きをしてしまう金子。結果、2人ともワンフェイクで置き去りにされて、最終的にPA内へ侵入を許しシュートを打たれてしまう。

 

9:00〜 左サイドの佐藤からサイドチェンジ。山田と競ると、背後から迫ってきている福田に独走を許しかねないので、長友(相手左SB)はあえて競り合わずに楽々ボールを回収。これは長友がお見事だった。全国のサッカープレーヤーは見習うべきだろう。素晴らしい。

問題はその後、福田はそのまま自身のポジションを放棄して前へ前へと進軍する。誰がカバーに入るのか。谷内田が気を利かせていなければ、きっとそのままポッカリとスペースが空いていたことだろう。

 

23:30〜 飲水タイム明け。景気付けにとセンターサークルから突然始まる山田の職場放棄プレス。世にも不思議な光景かもしれないが、京都ではよくある風景。

GKまで35m弱ほどスプリントして、ボールをすっ飛ばされる。結果的には京都がこのロングボールを回収しボール奪取に成功したので良かったが、FC東京が冷静に逃げていれば楽にボールを前進できたことだろう。同じスプリントするにしても、DFラインの背後へ引き出す動きであれば相手も引っ張り出せる。しかしこんなスプリントは只単に相手にスペースと自由を与え、自分達の疲労が溜まるだけである。

 

極め付けは失点直後の37:02〜


松木玖生の長友へのパスへ、なぜか俵積田(相手左WG)を捨てて食い付き相手にチャンスをプレゼントする福田。クソンユンのファインセーブにより失点は免れたが、全くもって意味不明である。

 

これを福田のミスだと糾弾するのは簡単。だが他のプレーも含めて「なぜこんなことが起こるのか?」を考えると、このチームの行き過ぎた個人主義に辿り着く。

 

昨年の振り返りでも以下の様に記述したが、このチームは個人個人に役割が振られている一方で、チームとしての決まり事は少なく、意思統一の程度が低い。

曺貴裁京都では、こうして個々に役割が振られ、役割を全うする事が強く求められる。

もちろんポジション毎に役割があるのはどのチームでも同じ事ではあるのだが、京都の場合は組織の中で役割を果たす事よりも、各々が役割を強く意識し、役割を果たす事で組織が形作られる思想が強くなっている。

秩序の中のカオス(混沌)」という考え方にも現れている様に、縛ってしまう事で起こる硬直性を恐れて、一定のルールを与えつつ、判断の裁量は選手に大きく委ねられているのだ。

 

 

だから各々が自分に与えられた役割をこなそうと必死に頑張る。必死に頑張っているが、それは全体最適ではないのだ。

チームの目標達成の為に今自分は何をすべきかを考えて行動しなければならないが、日々のトレーニングで整理ができていない。そして各選手は自分のタスクにしか焦点が当てられていない為に、2人組ですら意図が合わない。当然11人全体ではよりバラバラになる。

 

7月のとある練習公開日に見学へ行くと、ゲーム形式の練習の中でストップが掛けられて「なんで行かないんだよ!」「遅い!お前が行かなかったら始まらないだろう!」と監督に叱られる福田と木村勇大の姿がそこにはあった。

その後、プレスのタイミングを改善した両名に対して、「ナイス勇大!」「福田いいぞ!」と賛辞の声掛けが飛ぶ。

 

行かなきゃ!行かなきゃ!!行かなきゃ!!!

 

だから行くのである。

 

 

 

終焉の時

これはFC東京戦に限った話でもなければ、今年に限った話でもない。人が変わっても同じことが起きている。

7月の名古屋戦の後半、左サイド奥深くで木下がボールを持った際に佐藤がオーバーラップを仕掛けて数的有利を作れるかと思ったら、木下は佐藤を囮にも使えずボールロスト。

 

同じ事は昨年夏の柏戦でも武富⇔荻原間でも。

 

そして磐田戦やPO熊本戦でのカオスも同様である。

熊本戦では、相手選手やスペースの状況を鑑みずに「受け手の体勢に関係なく、ボールをより前方に位置する選手の足元へ付ける」「ボールホルダーを追い越す」プレー原則が優先されて、とんでもない戦術的エラーにより被決定機を迎えた

 

選手は皆やる気に満ち溢れている。勝利の為にプレーしようと、「自分がやるんだ!」という強い気持ちを持っている。

しかし、自分がやらなければならないという責任感が利己的なプレーや効果的ではないプレーに繋がり、攻守に於いて「何がしたいのかわからない」という状態を生んでしまっている。

 

サッカーはチームスポーツ。1+1=2ではなくて、3や4になるのだ。3や4になるようにチームプレーに努める必要があり、3や4にする為のコンセプトと具体的な実行案が戦略と戦術である。

しかし京都は戦略も戦術も個人主義に傾倒している為、1+1が2ではなく0.5くらいになってしまう。

 

確かに京都はクラブの規模は大きくない。

昨年度のデータで、チーム人件費は18クラブ中から数えて4番目と紛れもなくJ1下位クラス。選手の顔ぶれを見ても年齢が若く、J1でのプレー経験が乏しく、J1常連クラブのサポーターからすればサブどころかレギュラーメンバーですら「知らんなあ」となるようなスカッドだろう。

 

 

だが只でさえ乏しい戦力を用いて、1+1が2になる様にすらチームを構築できていないのが現状である。

短期的(残留争い)に考えても、中長期的に考えても、曺貴裁監督以下現在のスタッフ体制を継続していて有益であるとは言えない。目の前の試合にも勝てないし、選手もチームも中長期的に成長し得ない。

強いて言えば、①監督の求心力は引き続き高く、更迭すると監督を信奉する側選手のプレーへのメンタル的な影響は避けられない ②選手編成がいびつであり、標準的な監督を据えた処でもはや能力が最大限発揮できる環境にない の2点の背景から現体制と一蓮托生状態であり、メスを入れるのも重大リスクという不健全な構造になってしまっている。

これまで私自身もバドゥ政権・和田政権・布部政権時と違って解任を声高々に叫びづらかった。

 

別に、J1昇格させてくれた監督だから「最後まで曺貴裁監督で行こう!」という考えがファン・サポーターの中にあってもそれは良い。考え方は人それぞれ自由だから。

ただ悪いことは言わないから「監督を解任しろと言っている奴はアホ」だの抜かしている者は自分の胸に手を当てて問うてみた方が良い。変な壺や怪しい数珠でも買わされてしまう前に。

 

 

客観的に見てこの体制では選手もチームも成長しないのはよくわかったことだろう。2年半何も進歩しなかったチームが、たった3日間の和歌山キャンプで目に見えて変貌するはずがないと思っていたが、むしろ退化して帰ってくるのだから。

磐田戦もPO熊本戦も、シーズン最終盤でJ1残留が懸かったプレッシャーの大きい場面である。だから崩壊するのもわからなくない。

でも今はまだ8月の半ば。これから過酷さが増していくのに、既にバラバラなのは極めて厳しい。

 

 

 

「成長」を求めた白井康介

福田が飛び出してピンチを迎えた37:02〜のシーンは、ハイライト動画でもわかるように何とか難を逃れて京都ボールから再開された。

そのプレー再開までに、残念ながら福田へ声を掛ける人間は誰一人私の目には捉えられなかった。

 

本来であれば、こんなプレーが起きてしまった際には、首根っこ掴んででも「お前何やってるんだ!」「次は頼むぞ!」と言うべき場面であろう。

でも本当に誰一人知らぬ顔で、福田も含めてとぼとぼ歩いて自分のポジションへ戻っていく。

 

ウタカか、上福元か、あるいはヨルディバイスが居れば叱ってたかもしれない。太田岳志も叱ってたかな。

でもこの日の京都には誰一人居なかった。

 

この明らかに異常なプレーがチームにとって全くの不正解ではないという事と、リーダーが居ない事と、互いにコーチングし合う余裕すら無い事を示唆してくれている。

 

 

決して選手間の仲が悪い訳ではない。むしろ連帯感はリーグの中でも強い方だろう。

ただ、真のチームワークは残念ながらそこにはない。もはやチームではない。

 

それが以前に「陰の連帯感」と評した真意なのだが。

 

 

 

対岸ではつい先日まで紫のユニフォームを纏っていた白井康介が、新しい職場のルールにやや戸惑いながらも躍動していた。

 

 

彼はこれからも苦労し続ける事だろう。

だが、30歳を目前にし、彼の最大の特徴であるスピードとクイックネス+運動量の衰えに抗い続けなければならない中で、プレーの幅と選手寿命は間違いなく拡張していくだろう。「成長」できる環境が、FC東京には京都よりも備わっている。

だから、京都サンガを応援する者としては残念だが、彼や上福元の判断はリスペクトに値する。

 

 

 

曺貴裁京都は気持ちのチーム。今日もまた強いメンタルでひっくり返そうと臨むのだろう。

だが気持ちしか無い状態を放置していれば重大インシデントがいつの日かやって来る。

怪我をする者。「もう付いていけない」と自ら船を下りる者。外部から高い評価を受け、白井の様に成長を追い求めて去る者。

 

手を打つのは崩壊してからでは遅い。

 

 

See you soon…!

 

 

 

P.S.

そう考えると佐々木久美さんって本当に偉大。