+1 プラスワン

【2023 ルヴァンカップ】GL第6節 京都サンガF.C. vs FC東京

 

 

はじめに。若原選手、焦らず怪我を治してから、帰ってきてください。

南長野の寒空の下でJユースカップ優勝を果たしたあの時、表彰式の壇上へ階段を登っていく貴方に対して私は、「トップでも優勝しよう」と声を掛けました。

J1昇格の瞬間こそ怪我でピッチには立てませんでしたが、間違いなく原動力の1つであり、今季はJ1の舞台でGKの1stチョイスの座を掴んでいる事を嬉しく思っています。ゆっくりで良いです。違和感なくプレーができる。そして日常生活が送れる様になることを待っています。

 

 

 

さて、非常に難しいテーマだと思います。

確かに外野がああだこうだと言及するのが野暮であるという見方もあるかもしれない。言及する事で、本人の目に触れて、嫌な気持ちにさせてしまうかもしれない。

 

しかし、生憎ながら私は思ったことをストレートに口から出してしまう性分です。

「もう少し利口に振る舞った方が良い」「オブラートに包んだ方が良い」「敵は作らない方が良い」

……良く言われます。申し訳ない。自分が曲ったことだと感じたものは、とことん嫌なもので。

 

 

 

 

本題に入ります。

1つだけ。言葉のあやかもしれませんが、「私の言う事が全て正しい」とは思っていません。同時に「私の言う事は間違っていない」とも思っています。京都人のプライドですかね。

 

 

今回の若原選手の負傷ですが、まず状況としては、2点ビハインドの後半31分にFC東京のペロッチとゴール前での1vs1を迎え、若原がビックセーブを見せるも交錯し、試合が中断。診療・治療が行われました。

対岸の京都ゴール裏で観戦していて、かなり長時間に感じられました。頭部の負傷(脳震盪)や流血とそれに伴う止血がされているのかな?と思いつつ見守っていました。

 

この時の京都は交代枠を既に使い切っており、ベンチに居るGK太田選手との交代は原則認められていない状態にありました。(脳震盪による交代は、交代枠の有無に関わらず試合中最大1名まで認められています。)

その後、動画にもある通り、若原はプレーする意思を見せて試合も再開。しかし足を引きづりながらのプレーで、ゴールキックはDFが代わりに担当します。当然、キックでのフィードもできず、スローイングや即座のリターンパスでなんとか凌ぎます。

 

 

試合はそのまま1対3のスコアでFC東京が勝利。逆転で決勝トーナメントへ進出し、逆に敗れた京都はグループ首位から3位へと転落。決勝トーナメントへの切符を最終節にこぼしてしまう結果となりました。

試合後、若原は場内の挨拶へは加わらずに、自分の足で歩きながら控え室へ一直線に退場。これは長期間の離脱も視野に入れねばならぬな…と思いつつ私も亀岡を後にしたのでした。

 

 

 

試合直後の感想と、今回の一件に関する私の意見は以下の通りです。補記をしますが、まずは当初のツイートを添付します。

 

 

 

 

ここからはツイートに対する補記をします。初めに"明らかに負傷していたのにも関わらず退けさせなかった事"に対する自分の意見です。

 

まず、怪我を負った要因はペロッチ選手との接触によるものです。プレーの中での接触であり、故意に悪質なチャージをペロッチがした訳ではありません。双方が真剣勝負の中で、特に若原の方が臆すことなく大胆にプレーをした結果であり、致し方ないものでした。

 

怪我を負った若原が、自分はイケると、問題ないと、プレーを続けようとするのは当然でしょう。プロだからこそ、実際に動いてみてから退く判断をするべきだったとも思いますが、興奮状態にある試合中ですから、制限こそあれど、痛みの感じにくさもあったかもしれません。重ねて、交代枠を使い切っており、GKという1枠しかないポジションだからこそ、余計にその場を譲る訳にはいかなかったかもしれない。

選手は当然「やれます」と言います。言ってしまいます。それを信じるのではなくて、冷静にジャッジするのが周りの人間の仕事です。私はそう考えています。

一つ言えるのは、彼の判断が誤りだったと軽々しく断じることは私にはできません。

 

 

メディカルスタッフ。なぜに判断を見誤ったのか。非常に残念です。

私は全くの門外漢です。だからこそ、最初に診療・治療を行って、問題がないと見誤った事は仕方ないと思います。プロが診ても、気付かないでは無くて気付けない事もあるでしょう。

しかし、彼は動画にもある通り、素人目に見ても異常をきたしていました。一度送り出してからの痛々しい状態の彼を見て、判断を変えることができなかったのか?

 

プロの目で見て、わからない訳がないと思うのですが…。最初に見逃した事ではなくて、見過ごした事が一番の問題だと思います。不信感しかないです。これ以上は論ずるに値しないというのが正直な処です。(ただし後ほど述べますがエクスキューズがある可能性もあります)

なぜならば、OKを出して送り出し、その後も判断を変えなかった結果が、全治2か月の右膝後十字靭帯損傷なのですから。

 

 

そして監督とコーチ陣。

中でもまず監督。なぜ決断ができなかったのか……。

記者会見でのコメントと、いくつか私も見聞きしたその時のベンチの様子。監督はピッチの外へ退けさせる考えもあった様です。

>メディカルスタッフから「やれる」という判断が来ていました。キックが蹴れないけれど、ゴールマウスに立ってプレーはできると。智哉はしんどそうでしたが、交代枠もすべて使っていました。バツマークが出ていたら、フィールドの選手をGKに移していました。

 

でも、何がどうであれ「結果」はあの状態の若原を見て、退けない判断をした訳です。専門職であるメディカルスタッフの判断を受け入れたものとは言え、プレーする姿を見て何も思わなかったのか…?

実は監督に最終的な判断権限が無く、違う人間が権限を有しているのならば、チームは組織としての体を成していない事になる。

ではなくて、きちんと監督が権限を有しているのならば、なぜ止められなかったのか。あの光景を見ても止める程ではないと判断したのか。

現場の最高責任者は監督です。だから全ての責任は最終的には監督に帰結します。それが組織であり、「負う事」がリーダーの辛く重要な役目の1つです。

 

例えが不適切だと思いますが、車を走らせている道中、横断歩道を渡る人が居た。その目で捉えていた。見えていたけど止まらなかった。轢いてしまった。

なぜ見えていたのに止まらなかったのか。予見できたのに途中で止めようと行動しなかった事は、果たして「仕方がない」で済まされる事なのでしょうか…?

 

 

そしてGKコーチをはじめとするコーチ陣。なぜ監督に決断を促せなかったのか?何も問題に思わなかったのか?

「負う事」が求められる監督の負担を分かち合い、補完する立場にありながら、何も行動ができなかったのか?

それとも促したのに聞き入れられなかったのか。それならば監督の責任はとても重いが、何人も居ながら誰一人として正常な判断を下せなかったのでしょうか…。

 

 

いずれにせよ、判断の機会は十分与えられていたにも関わらず、京都はチームとして誤った選択肢を選び続けてしまいました。

プレーを続けた事で若原の負傷の度合いが深刻化したかどうか、その因果関係はわかりません。少なくともペロッチとの接触の時点で重傷だったと思われます。

若原には、今後まだまだ選手として大成していく期間があります。そして大事な家族が居ます。重傷を負った彼の安全を目先の試合を落としてでも第一に優先しなければならなかったのに…

診療を受けて「軽症でした!」となることを期待していましたが、愛する我がチームは、あの状態のGKをそのままピッチに立たせる選択をしてしまい、診断結果は予想を覆す事なく重傷。これほどまでに悲しい事はありません。

 

なぜかバックパスが彼の足元に届けられてしまう度に痛々しいのに、東京のセットプレー時はハイボールの処理をさせるつもりだったのでしょうか?更なる接触プレーの可能性も当然有ったのにピッチに残しておいた事を、『メディカルチェックOK→全治2か月』だった事がわかった今なお判断に問題はなかったと軽々しく口にできるのでしょうか。

 

「プロ同士が判断した事」だから?

 

テレビの中のハードなリアクション芸じゃないんですよ。

あれだって怪我をする可能性があるけれど、違うんですよ。プロスポーツの真剣勝負なんですよ。バチバチの場なんですよ。

 

物凄いスピードやパワーでぶつかり合う場で、見るからに負傷している彼をゴールマウスに立たせ続ける事が、負傷の内容がわかった今なお何のプラスの要素が有ったと振り返れるのか。

容赦無く襲いかかる相手の攻撃を防ごうとして重症化するリスク。あるいは為すすべなくやられてしまって、不要な精神的なダメージを負うリスク…

 

リスクとリターンを天秤に掛けて、無謀かもしれないが大きなリスクを承知で取りに行った。であるならば、勝負事の中でのプロの判断として理解はできるでしょう。しかし、今回はそういう類の話ではない。なぜならばリスクしか見つからないのだから。

 

通常であれば最後の笛が鳴るまで勝利を目指して戦い抜いて欲しい処ではありますが、この日は通常の状態ではなかった。でもセコンドからタオルを投げてやって、「今日は俺が責任を取るから」とケツを拭いてやることもできなかった。

仕方がなかった。次だ次。文句を言っても何もならない。じゃあ、選手は単なる駒にしか過ぎないのでしょうか?

 

 

 

 

もう少しばかり、そもそもメリットのない判断である事と、監督やクラブのこれまでのバックボーンを含めて私見を述べます

 

改めて振り返りますが、明らかに様子のおかしい若原を起用し続けて、彼の負傷が深刻化する可能性と、軽微なものになる可能性とで、読者の皆さんはどちらが高くなると思いますか?

私の答えは前者です。続けさせて重くなる可能性はあっても、改善される可能性は0でしょう。

ではなぜ、「正GKの怪我が重くなる」=「離脱期間が長くなる選択肢」をわざわざ選ぶのでしょうか。戦力運用の面で考えても全く合理性がありません。

 

何より、勝敗に関係なく判断されるべきですが、当時2点ビハインドでこの試合とルヴァン杯を落とす可能性が高い状態であり、プロとして目先の勝利よりも選手の身体を優先させる判断をするのはより容易い状況だったと思います。(繰り返しますが勝敗に関係なく選手の安全が優先されるべきです。)

にも関わらずなぜ誰も行動に移せなかった。

 

 

ここで更に振り返りたいのが、監督の過去です。

>水が入ったバケツを蹴り飛ばしながら「お前なんか怪我してしまえ!」と発言したケース、練習に参加させずに「お前はもう諦めている」と伝えたことで当該選手がオーバートレーニング症候群と診断されたケース、「こういうプレーをする選手は湘南の選手ではない」と発言しながらサッカー雑誌を投げつけたケースなどが確認されている。

>また選手の身体に被害を与え得る言動も確認された。メディカルスタッフに「大げさだろ。やらせろ」と伝えて選手を過度に早期復帰させたり、脳震盪を起こした選手に対して規定の復帰プログラムより早く「いいからとりあえずやれ」などと練習試合でプレーさせたり、負傷した選手の状態を確認しようとしたメディカルスタッフを「自分で考えさせろ」と制止し、当該選手が直後に全治8か月の負傷をしたりしたことなどが指摘されている。
>選手の中には「あそこまで選手と向き合ってくれる監督はいない」「チョウさんのおかげで選手として成長できた」「チョウさんには愛情以外感じない」「素晴らしい人だと思う。自分が出会った監督の中で間違いなくナンバーワンだと思う」といった声も上がったという。
>その一方で「精神的な苦痛を無茶苦茶受けてきた」「最初のうちは家に帰って心臓が痛くなったり、死んだ方が楽だと思うことすらあった(しかし後半になると叱られる自分は成長すると感じられるようになった)」「ベルマーレというチームは好きだがチョウ監督と一緒にやることはもう無理」といった供述があったようだ。

 

 

今回の様な強行出場をさせてしまうと、現場の最終責任者は監督な訳ですから、側から見て「やっぱりこの人は何も成長していない」と思われてしまう可能性がある。ひいては「京都サンガというクラブは選手含め人を大事にしないクラブなんだ」と思われてしまう可能性がある。そう受け取られても致し方がない事象の1つと言えると私は思います

私自身、監督の過去を考えるとなぜ違う決断ができなかったのか、残念ですし不信感を抱かざるを得ないです。

 

ここで言う「側」とは、まず身内である選手やチーム・クラブ関係者も含まれます京都サポーターとスポンサーも含みます。それからアカデミーの関係者、スクールの関係者、他クラブの選手・関係者、代理人、大学・高校の関係者…対象は非常に幅広いです。それだけのリスクがあります。

 

例えば選手。怪我を押して出場することは、正直プロの世界ならばザラにある事でしょう。しかし、チームメイトが試合中に怪我をした。明らかにおかしい状態にある。けれども誰一人止められずに続けてしまった。

そんなスタッフ陣が、試合のメンバーを決める権限を有している。スタッフ陣に認められてメンバーに選ばれなければ、試合出場から遠のけば、自分の契約は危うくなっていく。生き残る為にはなんとしても評価してもらえなければならない。

若原のプレーを続行すると決めた覚悟は同じプロとして理解ができるものでしょう。一方で彼らも人間です。この一連の事象は、100%すんなりと受け入れられる出来事でもないはず。不信感を抱く、あるいは増す可能性がある。でも、「やらなければ」ならない。

正直な処、こんな構造になっていく発端あるいは"一端"という可能性は残念ながら完全には拭い去れない。武田の怪我や他の選手の長期離脱要因など諸々を勘案してしまうと。

 

 

代理人、他クラブの強化担当、大学・高校の指導者、選手の保護者…

己がその立場だったとして、こういう判断を下してしまうチームに、自分のクライアントや教え子、そして我が子を預けたいと100%思えますか…?

 

 

ここまでを、あの現場で加味して判断を下すのは無理に等しいでしょう。

でも過去の一件があるからこそ、その暗い過去を塗り替えて、明るい未来を創り上げていくには細心の注意を払わなければなりません。補完し合わなければなりません。自然と守られる仕組みを作っておかなければなりません。それが組織です。"チーム"なんです。「このまま付いて行って良いの…?」と不信感を抱かせてしまってはダメなんです。

今回の判断は若原だけでなく、京都サンガF.C.というチームそしてクラブにとって、そして曹貴裁監督にとっても、その他スタッフ各人にとっても、百害あって一利なしの愚かな判断だったと思っています。

 

 

なぜ誰も違う方向へ行動を起こせなかったのか。今回の一件は本当にガッカリです。ゴール裏で観ていた自分自身も含めて。

元々は主力だったのにカップ戦を含めて長期間全く試合に絡めない選手。お目付役と目されていた加藤久 強化アカデミー本部長の退任。岩城チーフトレーナーの退任。その他強化スタッフらの退団…

更に今回見過ごしてしまったメディカルスタッフとストッパーになり得ていないコーチ陣。これらそれぞれは有機的に結びついていない「たまたま」であると切に信じたい。信じ続けたい…。

 

 

 

 

 

ここ最近、逆ギレ然り、監督には真の味方が居らず苦労をしている、心なしか裸の王様の様な印象を受けます。

 

全て私の妄言であり、考えすぎなだけならば良いのですが、考え得るあらゆるリスクを排除し、成功確率を高めていくのがマネジメントです。でも今の京都には明らかにマネジメントが不足している様に見え、その影響で監督たちに負える量以上の負荷が押し寄せている気がしてなりません。

 

 

今週末もまた、私は性懲りも無くカシマへ行き、京都へ帰り、サンガタウンへ出向く。

私には応援することしかできない。見限ることなどない。でも、どうすれば良い方向へ共に歩んでいけるのか、その為にどうやってこのチームに向き合うべきなのか。

有ってはならない出来事が起きた今、その出来事に疑問を抱くどころか何処か肯定の雰囲気すら感じる現実を前に、拙い語彙では言葉に表せないもやもやが心の中に立ち込めている。

 

 

今日はここまで。どうすれば良いのかね。